【特集】能登半島地震からまもなく1年、石川県珠洲市の“現在地”を取材 動き出す復興への歩み「真剣に落ち込んでいる暇もなかった。なるようになる」
Q.解体は7月くらいと話していて、ようやく11月。そこから建てるとなると。当初思い描いていたイメージとは... 由起さん: 「違います。本当に違います。同じ宝立のどこかにいることができれば、仕方ないのかなと。例えば(災害公営)住宅なりを建ててくれるのであれば、そこなり。今のたっている永住的な仮設なりに入らないと仕方ないのかなと。家が建てられないということになってきたら」
有志による協議会発足「自分たちの町は自分たちで守る」
発災から11か月。由起さんは、地震の後、再開した踊りの活動で町内の施設を慰問しました。 由起さん: 「こんにちは。まずは、1月1日の震災の日から、皆様におかれましては、大変な苦労をされたことと思います。心からお見舞い申し上げます。いろいろと失うものも多くありましたが、少しでもそれでも以前の生活を取り戻そうと、踊りを再開し、きょうの日に向けて練習してきました」 慰問先で踊りを披露した由起さん。慰問後、「仕事とあれで、いろんなことも考えるし、みんなも一緒だと思うが、こうやってみなさんに喜んでいただけて、踊ってよかったなと思います。ありがとうございました」と話しました。
小中学校に開設されていた避難所は、8月には近くの公民館に移りました。授業も再開しましたが、通っているのは、震災前の半数ほどです。 「これね、9月21日に、大洪水起こったでしょ。あの時断水したんですよ。この地域。なので、その時に支援物資として、役所のほうから届けられた」と、公民館に置かれた支援物資を前に話すのは多田進郎さん。
Q.当時(9月21日)はまだここにも避難している人が? 多田さん: 「そうそう9月21日ね。ここが解散したのが、11月の20日くらいかな。その時にほとんど、仮設にみんな移れたし、一世帯だけかな、自宅を改修できたので」 宝立地区のこの避難所が閉鎖されたのは11月。珠洲市内では、まだ閉鎖されていない地区もあります。 多田さん: 「例えば、自衛隊が能登半島に滞在していた日数というのは、ほかの東北とか熊本に比べると長かったというのは聞いているので、避難所もたぶん長かったんだろうなという気がする」 「避難所はどちらかといったら“守り”みたいだけど、これからは守りに対して攻めになっていくかな。マイナス、すべてがマイナスだったのがようやくゼロになって、ゼロから今度プラスに向けてという感じかなと思う」 復興へ向けて、動きはじめた町。しかし、人口は減っています。