赤羽キャバレーの熱帯夜 「17才」に涙 ロック演奏の「ゴーゴータイム」でドラムの特権 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<6>
《明治大学に入学早々、失恋し、キャンパスライフは悲しいスタートとなった三宅さん。だが、大学で知り合った仲間と、ジャズバンドを組むことになった。その名も「レッド・フライング・ディスク」》 大学生ですからアルバイトしないとやっていけない。バンドでのアルバイトは割がいいので、1年生のときからいろいろな会社のビアパーティーなどで演奏をやっていました。 クリスマスパーティーが一番の稼ぎ時ですけど、仕事がちゃんと来ないので、知り合いのつてを頼って演奏していました。 大学にはいろいろなやつがいて、芸能事務所に進みたい学生がキャバレーなどで演奏するバンドの斡旋(あっせん)をしていました。大学2年生の夏、そいつから「8月の1カ月間、赤羽(東京都北区)のキャバレーで演奏のバイトをやってみない?」って言われ、軽く請け負ったのです。 《カラオケのない当時、大型キャバレーは生バンドを入れて演奏させるのが定番だった》 メンバーに「あこがれのキャバレーでの仕事が入ったぞ」と話したら、1人から「最終ステージは何時だ?」と聞かれた。「午前0時ぐらいだ」と答えたら、日吉(横浜市港北区)に住んでいるやつが「俺、帰れないよ」と。彼はリードサックスなんです。で、「じゃあ、断ろうよ」となったのですが、「もう契約しちゃった」と私。 「そういう店って契約破棄すると怖いんじゃない」「どうしようか」 結局、最終ステージはサックスはなしにして、それまでドラムだった私がリードギターに、そしてバンドボーイ(楽器係)をしていた後輩が、私の代わりに演奏したことのないドラムをやることにしました。後輩は急遽(きゅうきょ)、ドラムの猛特訓です。 後輩の慣れないドラムでは速い曲は無理なので、最終ステージはハワイアンを演奏しました。そして最後はお客さんを送り出すのに「軍艦マーチ」を演奏するんです。 きっとひどい演奏だったんだと思いますよ。何とか最終ステージを終えたら、ステージを見に来ていたキャバレーの経営者が店長を呼び、「あのドラムをやめさせろ」って。それまでのステージとクオリティーが全然違うわけですからね。 さらに「ハワイアンとかインストゥルメンタルばかりだから、歌のある曲も演奏してくれ」と注文がつきました。
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