「ノリックとの鈴鹿8耐は最高の思い出。次は僕の息子とノリックの息子で8耐に出てほしい」ジェイミー・スタファー
ライダー人生のハイライトはノリックと組んだ鈴鹿8耐
ゼッケンはノリックのナンバーである81で「YAMAHA RACING 81」からの参戦でした。初対面のノリックはとてもフレンドリーですぐに打ち解けることができました。自分は初めてのチームでしたが、ノリックが参戦している全日本チームに、ヤマハからのサポートスタッフが入っていました。鈴鹿8耐のために作られたチームでしたがノリックが明るく士気を上げてくれてとても良いチームだと感じました。 走り始めてラスト1時間15分までは最高位としては、タイミングによっては4番手まで浮上することが出来ていた。初めてのふたりに新生チームとしては注目される活躍ができていたように思います。 ですが、トラブルで急遽ピットインすることになり、順位を落としてしまいました。最終的には9位でした。残念ではあったけど、チームのみんなと走り切れたことを喜び合えました。エキサイティングだったしノリックも同じように感じてくれているのが伝わってきました。大きな歓声を聞き、達成感を味わいました。参戦1年目で鈴鹿8耐の魅力を知ることができたんです。 今年は自分の息子、マックス(20)と一緒に鈴鹿8耐にやって来ました。マックスは10歳の時に僕が桜井Hondaから参戦した鈴鹿8耐を応援に来ています。日本人ライダーの亀谷長純、同じオーストラリアから来たトロイ・ハーファスと参戦した時で、この時はリタイヤしています。でも、その後、マックスはレースを始めて、ケーシー・ストナーに憧れ、現在はオーストラリアスーパーバイク選手権ランキング5位で、自分と同じように鈴鹿8耐に挑戦したいと考えていました。 私にチャンスをくれたヤマハに連絡をしたらチームを紹介してくれたんです。Team KODAMAからの参戦です。連絡がきた時は、願いが叶ったと親子で喜びました。 できる限り鈴鹿サーキットのコーストラックについての注意点を伝えました。マックスは「ひとりでも多くの人に、自分のことを覚えてもらえるような走りがしたい」と懸命に取り組み、事前テストから参加して12位でチェッカーを受けました。 現在はレースエンジニアとして働きながら、息子をサポートしています。オーストラリアでは、レースは趣味の世界で、プロフェッショナルライダーとなるのは難しく、息子も働きながらレース活動を続けています。でも、少ない可能性に賭けて頑張っています。 自分はノリックと組んだ鈴鹿8耐をきっかけに鈴鹿8耐に7度も参戦することができました。それでも自分のレースキャリアの中で2007年のノリックとの鈴鹿8耐参戦が1番の思い出です。自分のライダー人生の中のハイライトです。チェッカーの後は「また、一緒にトライしよう」とハグをして約束した。それはかなうことはなかったけど……。ノリックの息子もレースを始めたと聞きました。 いつの日か、僕の息子マックス(20歳)とノリックの息子の真生騎(19歳)が、一緒に鈴鹿8耐に参戦できたら最高だと夢みています。
佐藤洋美