「ノリックとの鈴鹿8耐は最高の思い出。次は僕の息子とノリックの息子で8耐に出てほしい」ジェイミー・スタファー
ノリックこと阿部典史は、プロフェッショナルライダーを夢見て、サーキット秋ヶ瀬で腕を磨き、アメリカ修行に飛び出した。史上最年少で全日本ロードレース選手権チャンピオンとなり、ロードレース世界選手権にデビュー、最高峰クラスのチャンピオンを目指した。 常に前を向き、顔を上げてライダー人生を切り開き、圧倒的オーラを放ち、くったくのない笑顔で、ファンの心を鷲掴みにした。 ノリックの幼少期から、サーキット秋ヶ瀬の仲間、全日本ロードレース、ロードレース世界選手権と、彼が懸命に生きたそれぞれの場所で、出会った人々が、彼との思い出を語った。 文/Webikeプラス 佐藤洋美 【エンジニア ジェイミー・スタファー】 鈴鹿8耐のペアライダーとして参戦 出会い・31歳~ プロフィール 2006年オーストラリア選手権スーパーバイク.スーパースポーツのダブルチャンピオン 2007年鈴鹿8時間耐久初挑戦 鈴鹿8時間耐久には、過去7回参戦で櫻井Hondaからの参戦多数、最高位は2012年の6位 現在はオーストラリアでエンジニアとして働いている。43エーカーの牧場を所有、将来は羊を飼う予定
8耐でノリックと組めたことを誇りに思う
ノリックのことはロードレース世界選手権(WGP)のトップライダーで、いつもチェックしてフォローしていた。だから、すごく有名なライダーだということは知っていました。 ヤマハのスタッフが2007年にオーストラリアのスーパーバイクのテストに来てノリックと組んで「8耐に参戦しないか?」と声をかけてくれたんです。驚いたし嬉しかった。ずっと、出たいと思っていた鈴鹿8耐にあのノリックと組めることと同時にオーストラリアのスーパーバイク選手権で走っている自分を起用しようと選んでくれたというのが二重の意味で喜びでした。私にとっては、ものすごいチャンスでした。 鈴鹿8耐は、同じオーストラリアライダーで、WGPチャンピオンのミック・ドゥーハンが何度も優勝していたので知っていました。とても歴史があって、大勢のファンが駆け付ける大会です。いつか、自分も挑戦することが出来たらと夢見ていたレースでした。 ノリックはWGPで長い間、活躍していたスターライダーですし、その彼と組んで鈴鹿8耐に参戦できることを、すごく誇りに思いました。そのノリックも自身初の鈴鹿8耐に感慨深かったのではないでしょうか。