〈選択的夫婦別姓〉嫁ぎ先でのお酌、配膳、セクハラに打ちひしがれた女性が「すべての元凶は望まない改姓にある」と考えるワケ
結婚で打ち込まれた最初の楔
やがて大学に入学した井田さんは、アルバイト先で知り合った一回り上の男性と結婚して家を出た。 母親の過干渉から距離を置くには、結婚という手段を取ることが、当時はベストな方法だと思えたからだった。 ところがこの結婚が、井田さんの人生で最初の楔が打ち込まれた瞬間だったことには、まだ知る由もなかった。 「19歳で学生結婚するとき、私は名字を変えたくないこと、夫婦どっちが変えてもいいんだということを彼に伝えると、まず夫側が変えられることを彼は知らず、驚いていました。 その上で『妻の名字に変えるのは恥ずかしい』と言われ、両方の両親も『本家の長男に“嫁ぐ”のだから』『女性が名前を変えるのが当たり前』と、私の考えを理解してくれる人は誰もいませんでした」 仕方なく改姓して“井田”になった途端、井田さんは義理の家族から“嫁”として扱われるようになったことに面食らった。 「結婚後、『うちの嫁にうちの家紋入りの喪服を作る』と言って、義父が呉服店の人を連れて私たちの家に来たときはびっくりしました。 私は好きな人と結婚しただけで“井田家の嫁”になったつもりはありません。丁重にお断りすると、『あなたの意思は関係ない』と、採寸させるまで粘られました」 親戚が集まる行事では、“嫁”はお酌や給仕をさせられる無言の圧があった。 酔った男性親族たちに体を触られたり、セクハラ発言をされたりしても、夫も含め皆笑うだけだった。 「“嫁”という存在が、まるで生まれた“家”から彼の“家”に譲渡されただけの、“どう扱ってもいいモノ”のような扱いをされたことがとてもショックでした」 出産時に入院し、毎日「井田さん」と呼ばれるたびに「自分の名前ではない」と感じて気分が沈んだ。
就職氷河期の子持ち就活
井田さんは妊娠・出産のため、5年で大学卒業を迎えた。 夫は「大学を出たら専業主婦になって欲しい」と言ったが、外で働きたかった井田さんは就職活動を始める。 ところが当時は就職氷河期、しかも井田さんは未就学児を抱えている。 井田さんは就活に挫折し、大学時代にアルバイトしていた小さな新聞社に就職した。 「本当は就活でも『旧姓を使用したい』と願い出たかったのですが、言い出せませんでした。 旧姓通称の使用はまだ一般化しておらず、『面倒なことを言う新卒』は採用されないのではないかと不安に思ったからです」 井田さんは子どもを保育園に預けながら働き続けた。 ところが2004年に2人目を出産後、子どもが病気になってしまい、やむなく退職。自分自身も産後うつになってしまった。 通院と並行して、フリーランスライターとしての仕事を始め、徐々に自信をつけていく。 寛解まで時間がかかったが、20年近く井田姓で記事を書き、企業広報としても働いてきた井田さんは、気づけば38歳になっていた。 「『名字を変えたくない』という子どもたちの希望もあったので、38歳で離婚したときは旧姓には戻さず、婚氏続称を選びました。 私が味わったように、望まない改姓の苦痛は、子どもたちにとってもいい影響を与えないと思ったからです。それに今さら生まれ持った氏名に戻しても、キャリアの継続性が保てないと考えました」