禅が教える「居場所」と「孤独」のほどよいバランス 「つながるべき」か「つながらないべき」かの基準とは
寂聴さんも「最初から自分は一人だと思って、他人に期待しないほうが家族や友人ともうまくいく」と語っています。 さらに言えば、禅には「孤独であることを大切にしよう、一人でいることを幸いと考えよう」、そういう精神があるのです。 ■居心地よくても「逃げられない」は辛い 現代では、SNSで繋がることが良しとされ、孤独は悪いものと見なされがちです。 確かに、人は一人では生きていけないと、私も思います。 人は集団をつくる生き物であり、集団に属することで、心が安定するのも確かです。
しかしながら、ブラック企業のような集団のみならず、愛と尊敬に満ちた居心地のいい集団であったとしても、そこから「逃げられない」環境は苦しみのもとです。 友人の輪から外されまいと1日に何十通もLINEのやりとりをするのがしんどい、と感じたことはありませんか? 社会となんの関わりも持たない「孤立」はよくないものだとしても、一人の時間がまったくないのも、人は息が詰まるのです。 ■ふと一人きりになった時間を大切に
人は本来一人である。 しかし人は一人では生きていけない。 この矛盾を解決するには、積極的に孤独を「価値あるもの」だと捉えることが必要だと思います。 例えば、家族や同僚に恵まれている幸せをかみしめられる時間は、その家族や同僚が横にいる時間ではなく、ふと一人きりになった時間のなかにあります。 また、自分がこれから歩んでいく道を見定めるためにも、孤独が必要です。 人生の岐路に立ったとき、一人旅をする人がいるのはなぜか。
それは、情報の洪水から距離をとり、一人静かに心の声に耳を傾ける時間が必要だからでしょう。 すなわち孤独とは、社会的な肩書や役割を手放し、本来の自分に立ち戻れる時間でもある。そうであるならば、孤独は悪いどころか、最高に贅沢なものだとは言えないでしょうか。 お釈迦様も「犀(さい)の角(つの)のようにただ独り歩め」といいました。これはまるで、お釈迦様なりの「孤独のすすめ」のようでもあります。 一遍さんのように、すべてを捨てる必要はないと思います。
多事多忙で旅行にいくのもままならない人も多いでしょう。 しかし、例えば週末は自然の中を一人歩いてみるのもいい。美術館を一人訪れるのもいい。仲間と食べるランチも賑やかでいいですが、たまには一人で。 そうした一人の時間のなかで私たちは、本来の自分を取り戻し、心身を回復させていくのです。そのような時間が、寂しいものであるはずがありません。
枡野 俊明 :「禅の庭」庭園デザイナー、僧侶