日本で「アニミズム」が保存された3つの根本理由 「自然信仰」を踏まえた「地球倫理」の時代へ
すなわち、都市文明圏の中心部においては、そこで出会うさまざまな民族や共同体にとって「普遍性・合理性」をもった思考方法やシステムが重要になるから、特定の共同体にのみ根差すような文化や土着の信仰は排除され背景に退いていく。 しかし日本の場合は、まさに中国という巨大な都市文明圏の周辺ないし辺境に位置していたからこそ、アニミズム的な土着の自然信仰が、非合理的なものとして排除されることなく、生き残っていったのである。
加えて、「ガラパゴス」という表現を使った理由の一つでもあるが、都市文明圏の中心部との“距離”という点がある。つまり朝鮮半島のような、中国文明圏と陸続きの場所では文明圏に近接する“衛星”としての側面が強くなり、土着の民間信仰などは文明圏の強い磁場と力学の中で排除されやすい。日本の場合、良くも悪くも文明圏の中心部から海を隔てて相当な距離があったために――まさにガラパゴス――、その風土に根差したアニミズム的な自然信仰が残存しえたと考えられるのである。
■後発国家のアイデンティティと神話 さらに、7世紀から8世紀にかけての古代国家の形成やそこでの『古事記』等の編纂課程において、天武・持統といった当時の為政者が、中国文明に対する自らのアイデンティティとして、アニミズム的な自然信仰の要素を多く含む土着の神話を積極的に位置づけようとしたという点も大きいだろう(こうした点については溝口睦子『アマテラスの誕生』岩波新書、2009年および工藤隆『深層日本論――ヤマト少数民族という視座』新潮新書、2019年参照)。
多少脱線めくが、このように「後発の国家」が、その後発性ゆえに「神話」的な土着の民間信仰を自らのアイデンティティとして積極的に位置づけようとするという現象は他でも見られる。 私がこの点で想起するのはフィンランドである。フィンランドは北欧自体がヨーロッパの文明圏において「辺境」的な位置にあることに加え、北欧の中でも「辺境」に位置している国と言ってよい。私はヘルシンキに2001年12月から翌年1月までの2カ月間滞在したことがあるが、この国が1917年にロシアから独立するにあたって、それに大きな影響を与えたとされるのが「カレワラ」と呼ばれる民族叙事詩の編纂だった。