日本で「アニミズム」が保存された3つの根本理由 「自然信仰」を踏まえた「地球倫理」の時代へ
そして、ここで重要なのは次の点である。すなわち仏教という、高度に体系化・言語化された普遍宗教と融合したことで、日本において原初にあったアニミズム的な自然信仰は(やや俗な言い方をすれば)ある種の“お墨付き”あるいは普遍性を獲得することになり、それによって後の時代まで長く保存されることになったと言えるのではないだろうか。 日本においてアニミズムが保存された背景として「神仏習合」を挙げたのは、以上のような趣旨である。
■「ガラパゴス的辺境性」とアニミズム さて、日本でアニミズム的自然観が保存された最後の要因として挙げた3)「ガラパゴス的辺境性」についてはどうか。 今から約1万年前にメソポタミアを中心に生じた農耕、言い換えれば食糧生産の始まりを受けて、およそ5000年前にメソポタミアで最初の「都市文明」が生まれ、文字、法制度、市場経済、数字、建築・都市計画等々のシステムが人類史上初めて整備されていった。 これに前後してエジプト、インド、中国、ローマなどで同様の都市文明が生成していったわけだが、これらの都市文明圏は、そこにおいてさまざまな民族や共同体が出会う普遍的な交流圏ないしセンターであると同時に、その周辺に“衛星”的な文明圏(あるいは文明圏というより文化的共同体に近い地域)を派生的に生み出していった。
日本はまさにそうした衛星的な文明圏の一つであり、もちろんそれは中国文明に対してその「周辺(または辺境)」に展開したものだった。具体的には(農耕ないし稲作そのものが大陸から移入されたことに続いて)5~7世紀前後を中心に、上記のような都市文明のあらゆる要素(文字、法制度、建築・都市計画等々)が中国から導入されたのである。 このような意味で、日本はその初期から中国文明に対する“衛星”ないし周辺、辺境というポジションにあったわけだが、次のような要因から、都市文明以前の土着のアニミズム文化が保存されたと考えられる。