カズ、北澤メンバー外で「僕が残った」 マイアミの奇跡から2年…日本代表入りは「複雑でした」【インタビュー】
「カズさんと北澤さんがメンバーを外れて。で、僕が残った」
アトランタ五輪翌年、伊東は加茂周監督時代の日本代表にも初選出される。もっとも、定着することはできずに予選には出場していない。岡田武史監督に呼ばれたのはW杯直前。驚きもあったという。 「予選にも出ていなくて、突然呼ばれたので。もちろん、選ばれればいいなとは思って、クラブでもアピールしていたけれど。大会直前のスイス合宿に行ったら、カズ(三浦知良)さんと北澤(豪)さんがメンバーを外れて。で、僕が残った。ちょっと変な感じ。複雑でしたね」 W杯本番では出場機会なし。同じアトランタ組の川口や城、中田らの活躍をベンチで見ていた。28年ぶりの五輪、初のW杯、日本サッカーの歴史の大きな節目となった2つの代表チームに名を連ねながら、悔しい思いのほうが大きかった。 「W杯代表メンバーになったのは嬉しかったけれど、やっぱり少しでも出場したかった。あの大会は経験になったけれど、ピッチに立っていればさらに違ったはず。悔しかったですね。まあ、そう(歴史的な両大会でメンバー入り)考えれば、悪くはないかなと(笑)」 伊東たちのあと、日本は五輪に今年のパリまで8大会連続、W杯も22年まで7大会連続出場している。伊東たちの世代が全力で目指した「世界大会」への出場は、30年近くたって「当たり前」になっている。そんな今の代表を支える選手たちを絶賛した。 「本当に、すげえなと思いますね。あの頃に比べて欧州でプレーする選手が増えた。ただ増えただけじゃなくて、多くの選手が主力としてプレーしている。すげえことになったと思います」 伊東を支えてきたアトランタ五輪の栄光とW杯フランス大会の悔しさ。いずれも20代前半のものだった。27試合出場の国際Aマッチで最後にピッチに立ったのは2011年。その後23年ものプロサッカー人生が、そのキャリアをさらに輝かせ、唯一無二のものにした。 [プロフィール] 伊東輝悦(いとう・てるよし)/1974年8月31日生まれ、静岡県出身。静岡・東海大一高(現東海大翔洋高)―清水エスパルスーヴァンフォーレ甲府―長野パルセイロ―ブラウブリッツ秋田―アスルクラロ沼津。ボランチとして清水の黄金期を支え、U-23日本代表ではアトランタ五輪ブラジル戦で「マイアミの奇跡」を起こすゴールを決めた。Jリーグ開幕の93年から32年間Jリーグでプレーした唯一の選手。日本代表通算27試合。 [著者プロフィール] 荻島弘一(おぎしま・ひろかず)/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。
荻島弘一/ Hirokazu Ogishima