【福島原発事故11年】風評被害対策はどこまで有効だったのか? 「民間事故調」報告書より #知り続ける
風評被害対策の本質は「福島復興を描く大きな戦略テーマ」
先の世論調査の結果からも、これまでの“風評被害対策“の有効性に限界があったことをうかがわせる。 このような状況に対して、行政当局は一貫して「正確な情報を伝え続ける」との立場で臨んでいる。冷静かつ根気強く対応しようというまっとうな態度のように見えるが、実際には、風評と正面から向き合うこと、差別や偏見を持ちその解消を阻害しようとする過激な者たちに立ち向かうことを恐れるリスク回避といってよい。そうすることが過激な見解を持つ人々からの政治と行政への批判を呼び起こすのを回避したいとする“事なかれ主義“に他ならない。 風評被害対策は、単に販促イベントをすることでも、“リスコミ”の専門家に委ねて済ませられることでもない。福島の復興の本質に関わる大きな戦略テーマであり、それは廃炉、除染、健康調査、避難民の帰還、経済活性化、町づくり、そして原子力被災地の再生といった他領域にまたがる問題であり、2011年6月施行の東日本大震災復興基本法が目指している「普遍化と逆転への意思」そのものに関わるテーマなのである。 国内外の情勢・民意に目配りし、一貫した戦略を練るイニシアティブを誰かが取ることを棚上げしてきたツケが回っている。 3.11の記憶の風化は進み、国内外での風評は一層固定化し、福島県民を苦しめている。政治も行政もそれに対してこの間、一つとして効果的な手は打てなかった。このままでは福島の問題は福島の特殊な問題としてそこに止め置かれることになるだろう。
少子化や産業衰退…課題克服の先に見える新しい国のあり方
「原災復興フロンティア」と題した第7章ではこのほか、被災の固定化と孤立化が進んでいる福島の放射線モニタリングの現状、除染をめぐる課題、甲状腺がん検査をめぐる過剰診断への対応の問題点、ハコモノができたという以上の成果が見えないイノベーション・コースト構想などについて、言及する。 「ゾンビ化とエンドステート」という小単元には、以下のような内容の記述がある。 震災直後の「集中復興期間」から「復興・創生期間」を終え、今後様々な側面で「ポスト復興バブル期」として、復興事業やその波及効果に支えられてきた経済構造にほころびが見えてくることが想定される。 福島全体してはポスト復興バブル期に入る一方、避難指示を経験した地域の復興は忘れられてきた。これまで見てきた「福島の復興」の諸現象は、人工呼吸器であり人工心臓であり栄養補給であり輸血ではなかったのか。 元来は廃炉についての工学的な議論の中で用いられてきた概念であり、「最終的な状態」を指すエンドステートという言葉。本来、復興に必要なのはエンドステートを描く議論を広く行うことに他ならない。 しかし、福島第一原発の廃炉をめぐるエンドステートの議論は、10年を経てもまだ始まっていない。そして、中間貯蔵施設に関するエンドステート論についてもほとんど表立った議論はされていない。 エンドステートを定めずに走り続けることの限界はいずれ露呈するだろう。それは、100メートル走なのか、マラソンなのか。それも知らずにとにかく走れというに等しい。それでは途中で息絶えてしまう。 当初は何を克服し、どこを目指すのか明確だった「復興」が、時間の経過と一定の状況の改善が進む中で、逆説的にも、曖昧になってきている。 いまも残る、この10年で手つかずのままにされてきた種々の復興の難題は、単に予算があればどうにかなるわけでも、技術が完成すればよいわけでも、住民を巻き込んだ議論を進めれば丸く収まるわけでもなく、そういった複合的な課題を踏まえつつ時間をかけて努力をしなければ解決しないものばかりだ。 原災復興――。それは、これまで人類が経験してきた数多の戦争や災害からの復興からの「学び」の応用問題として考えてみようにも容易に答えが見いだせない問いを多分に含んでいる。 それでも「21世紀半ばの日本のあるべき姿」を見据え、少子高齢化や既成産業の衰退、巨大科学技術と政治権益と民主的合意形成の関係といった普遍的課題を福島の復興を通して克服していく先に、過去の戦争や大災害からの復興で生まれたような新たなこの国のあり方が見いだされるに違いない。