【福島原発事故11年】風評被害対策はどこまで有効だったのか? 「民間事故調」報告書より #知り続ける
曖昧な風評被害の概念 有効性への視点足りず
このように風評被害対策は一定の広がりを持って、多様な主体により進められてきたが、逆に言えば、中心的にこの問題を担当し、その結果に責任を取ることを誰もしない受け身の構造に終始してきたともいえる。 原発事故からの10年を俯瞰した際、これまでの「風評被害対策」に欠けているのは、それがどこまで成果を上げたのか、そしてどれほど持続性があるのか、を客観的に分析する視点だ。 問題の根っこに「風評」という概念の曖昧さがある。 だいたいどんなものが「風評被害対策」なのか。人々はその言葉を聞いて何を思い浮かべるだろうか。 アイドルグループ、TOKIOによる福島の農産物・観光地のPRは、テレビでのCM放映はじめ、様々な形で継続されている。福島産品を扱った物産展も各地で開かれている。 ただ、それらが果たしてどれほど風評被害対策として有効なのか。例えば、原災の被害を受けていない地域も農作物や観光地のPRを行い、テレビCMを放映し、遠方に出張して物産展を開いている。福島のそれと他所のそれを明確に区別できないのであれば、それは販売促進であっても、風評被害対策ではない。そこで風評被害対策として行われていることが風評被害の払拭にどこまで有効なのかは別に評価する必要があるだろう。 このことは、これまでの風評被害対策としてされてきた諸々が無意味であるということを意味しない。風評によって落ち込んだ消費をまず回復するために、遮二無二やれることを試してみるのが重要なことであることは間違いない。 しかし、従来の風評被害対策では、それを進める際、風評という曖昧な概念を場当たり的に捉え対策を打ち出してきたきらいがある。そこにはリスクコミュニケーションという概念の多様性とも相通じる課題があるのではないか。
販促や説得が主眼に…変質したリスクコミュニケーション
10年間を通して福島復興に関わってきた環境省関係者は、原災直後と、その後時間が経過していった後とで、いわゆる“リスコミ(リスクコミュニケーション)“の概念が変質してきたと指摘する。 その概念は当初は、政策当局や東電が透明性や情報開示によって住民との距離を「詰め合う」意識でやっていた。リスコミの専門家が語る理想もそれであった。しかし、それがいつごろからか販売促進や説得を目的とするようになった。3.11前から理論的に構想されてきた理想のリスコミ、或いはそれを流布してきた専門家が、3.11の圧倒的現実の前に全く実効性がなく無力であることが露呈した故だ。 行政の予算範囲内で求められる“リスコミ“では、それを受託する広告代理店は「結果」を出すことを求められる。いきおい販売促進のためのナラティブ(物語)志向の“リスコミ“へと傾斜する。しかし、それでは知識伝達に一定の効果はあっても、一定以上には広がらない。結局、予算消化を前提に「おいしい・楽しい」イベントを開き、パンフレットやウェブ・動画などを作ること自体が目的化する。その本来の目的であるリスクコミュニケーションがいかに良い形で達成されたのかという核心が問われない構造になっているのだ。