山本尚貴、スーパーフォーミュラ ラストレースへ
2024年11月5日の夕方。国内モータースポーツ界に大きなニュースが飛び込んできた。
『山本尚貴が2024年限りでスーパーフォーミュラを退く決断をしたことを自身のSNSで発表』
SNSでは彼のスーパーフォーミュラ引退を惜しむ投稿や、自分たちが撮影した写真と一緒に山本に感謝の想いを伝える投稿が、発表から数日経った今でも続いている。
それだけファンの間には、彼が15シーズンにわたて国内トップフォーミュラで戦ってきた記憶や色濃く残っているという証なのだろう。
筆者個人の話になって恐縮だが…私も長きにわたって彼のレースを取材してきた1人。正直言うと「いつかはこの日が来る」という覚悟はある程度できていたため、発表の時は大きな動揺もなく彼がインスタグラムで投稿していたコメントを読んでいた。その後、国内トップフォーミュラの舞台で彼を取材してきたことを思い出していた。
実は、私が初めて国内トップフォーミュラの公式戦を取材したのが2011年の開幕戦鈴鹿。そう、山本が初ポールポジションを獲得したレースだ。
前年はNAKAJIMA RACINGでチームメイトだった小暮卓史に対して0.357秒差をつけ、パルクフェルメで大きくガッツポーズを見せて喜んでいた姿が今でも記憶に残っている。翌日の決勝ではスタートで出遅れて大きく後退。レース後はチームのトランスポーター内で悔し涙を流したが、国内トップフォーミュラで“トップに立つ”という結果を最初に残したレースだった。
その後、多くのファンの印象に残っているといっても過言ではないのが2013年の最終戦。この年はアンドレ・ロッテラー、ロイック・デュバルがシーズンをリードしていたが、2人とも同じ週末に開催されたWEC参戦のためスーパーフォーミュラは欠席。唯一逆転の可能性を残していた山本は、ほぼフルポイントをマークしないとチャンピオンになれないという状況のなか、予選でダブルポールを獲得し決勝1レース目で初優勝。2レース目は終盤に雨が降り始めて山本もハーフスピンを喫した場面があったが、粘り強く3位を守り切って初のシリーズチャンピオンに輝いた。幾多の困難を乗り越えての初戴冠だったが、一番のピンチだったのが予選Q3。アタック中に他車がコースオフして赤旗中断となったのだ。そこでポールポジションポイントが取れなければチャンピオンの可能性がなくなるという絶体絶命の状況下、再開を待っていた山本は「絶対に諦めない」と言い聞かせていた。