七尾市のシェフが支えた避難所の調理…直面した「避難所の課題」と北陸再建のために望むこと
2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震。元日に起きた最大震度7の地震からひと月が過ぎました。被災した翌日から、現地で避難している人々の命をつなぐ“食”を支え続けたふたりのシェフに、被災地の現場で必要だったこと、これから必要なことをお聞きしました。聞き手は、取材やプライベートでも能登を訪ねた経験を持つ食と旅の編集者、山路美佐さん。七尾市の平田明珠シェフ篇(この記事)、輪島市の池端隼也シェフ篇の2回に分けてお届けします。
「ヴィラ・デラ・パーチェ」シェフ平田明珠氏の1月──七尾市中島町篇
(2024年1月16日の段階) 「ヴィラ・デラ・パーチェ」は、かつての塩津海水浴場であった場所に佇む美しいオーベルジュだ。当時の海の家を改装したダイニングから見えるのは、能登の美しい景色。浜辺に育つ葦のような草が風になびき、その向こうには七尾湾の穏やかな海。さらにその奥には山の稜線が見える。 <写真>レストランは七尾湾を望む穏やかな海辺にある。
珠洲焼ほか器も地元の作家ものを使用し、岩牡蠣や野菜など、細やかに能登の旬を追いかけた料理で人々を魅了してきた。能登・高農園、上田農園などの野菜を50種類近く使った「畑」は同店のスペシャリテであると同時に、彼らの思いを象徴した一皿だろう。
2024年の元日、平田氏は東京の実家でテレビのニュースで震災を知った。すぐに能登にいる知り合いにコンタクトを取り、店のスタッフ全員の無事を確認。しかし自宅や店舗のある集落の詳しい状況はわからず、家族を東京に残して翌2日早朝に能登・七尾市にある自分の店へ車で向かった。 通常使用する「のと里山海道」は道路が崩れて通行止めだし、「日本海側」は危ないと聞いていたため、長野の安房峠から別の道を使った。2日昼には店に着くことができた。
店に到着してみるとグラスや食器類、ワイン類が倒れて散乱し、店内はぐちゃぐちゃだった。しかし海辺のすぐそばに立つレストランではあったが津波の被害もなく、また建物も地震の影響は大きくなさそうであることを自分の目で確かめることができ、ようやく少しホッとしたと語る。