七尾市のシェフが支えた避難所の調理…直面した「避難所の課題」と北陸再建のために望むこと
日々変わっていく"被災地でいまやるべきこと"
平田氏の店がある周辺の集落でも倒壊、半壊した建物があり、停電、断水などインフラが崩壊していた。家で過ごせる人もいたが、近隣の人々の安否が気になった。情報はなく、自然に町の人たちと声をかけあい“できることはしよう”と思ったと振り返る。 少しずつ情報が集まるなかで、七尾市の避難所に指定されている中島小学校に1200人余りが避難しているということを知った。2日に訪れてみるとだいぶ避難の人数は減っていたが、人々が力を合わせ、限られた調理器具を使って早朝からご飯をたき、おにぎりを作っている現場を目撃した。 「そのときに、食材はたくさんあるし、自分の店のキッチンは生きているので食事を作って届けたら喜ばれるのではと考えました」と平田氏。スタッフが所属する「北陸チャリティレストラン」のメンバーや金沢に住む友人も駆けつけ、その晩はカレーを450人分作って中島小学校に届けた。 避難所の状況を見て、炊き出しの継続を決意。まずは、自分の地元の集落の人たちのために何かできることをやろう。そう思い、中島小学校の避難所の方と連絡をとりながら、やるべきことを探った。 「そこで初めて会う飲食店のおばちゃんたちと連携しながら、避難所となっている中島小学校の家庭科室で食事を作ることを始めました。けれど震災から3日後の段階では、避難所に人はいるのに全体をまとめる人が誰もいなかった。それが問題だと気が付きました」と平田氏。 国や自治体の人たちには、まったく頼れない状況。支援物資は届くけれど、それを開梱する人もいない。食事の内容を把握し、避難所に行き渡らせるように食事の数を調整する人、必要なものをリストアップする人もいない。そこで平田さんは、避難所での食事の面の取りまとめを買って出た。 「仕組みづくりをしなければ、みなさんの健康や衛生面も心配でした。中長期的に回るシステムを作ることが重要でした」(平田氏)