タップ拒否に「侍魂。本当の男」称賛声も…なぜ朝倉未来はRIZINで柔術“鬼神”の三角絞めに失神敗戦し引退を口にしたのか?
元K-1の“カリスマ”魔裟斗とのYouTube企画対談でインスパイアされ、これまでランニングを含めたフィジカルトレーニングをしたことのなかった朝倉が走り始めたのが約1か月前。「強くなっている実感はあった」というが、魔裟斗に逢うまでは打撃練習の基本であるミット打ちもしたことがなかったという。「まだ1カ月で(効果は)ちょっと分からない」も本音だろう。 RIZINライト級王座決定戦で、トフィック・ムサエフ(アゼルバイジャン)の強力な打撃を封じ、同じく三角絞めでベルトを腰に巻いたホベルト・サトシ・ソウザらが、静岡に拠点を置く「ボンサイ柔術」のチームとは、あまりにもバックボーンが違った。 「毎日、練習が試合と同じできつい。クレベルらときつい練習をするからチームとして負けられない。日曜だけ休んで1日に3回練習をする。筋トレ、打撃、柔術、MMAと色々変わる」とはソウザの証言。 ちなみに「ボンサイ柔術」とは、ソウザの父のアジウソン・ソウザが1993年にブラジルのサンパウロで創設した柔術のアカデミー。「ボンサイ」は「盆栽」からきており一人一人の個性に合わせて手塩にかけて育てようという哲学に由来するという。 グレイシー柔術の系譜を継ぎ、日本人の祖父を持つクレベルは、14歳で、ブラジルから浜松の工場に出稼ぎにきて、磐田市にあったボンサイ柔術の道場で柔術と出会った。 その祖父コイケ氏が1か月前に他界したという。 クレベルは、PRIDEで活躍した2人のブラジリアン柔術のレジェンドファイター、ヴァンダレイ・シウバと、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの名前を出して「シウバやミノタウロ(ノゲイラ)は、選手として出来上がって日本に試合をするためだけに来た。でも私とソウザは違う。工場で働くためにやってきたんだ」と語りかけた。 生きるために祖国を飛び出した。苦楽を共にしてきた仲間と家族がいる。時代遅れかもしれないが、クレベルには、絶対に負けられないハングリーさがあった。 朝倉も、よく知られたストーリーの通り、人の道を外れかけたこともあるストリートから這い上がってきたファイターである。だがYouTuberとして巨額の富を手にして、格闘家として不可欠なハングリーさまで失いかけていたのかもしれない。引退をほのめかしたのは、朝倉自身が、そのことを実感し限界を感じたのだろう。 堀口戦の敗北以来、約半年ぶりの復帰戦で、執拗な寝技を仕掛けてきた渡部をパウンド8連発による衝撃のTKO勝利で破り、バンタム級GPトーナメントの1回戦を突破した海は、「悔しい。兄貴の努力を見てきた。今まで以上に格闘技と向き合っている姿。勝って欲しかった」と、自分のことのようにショックを受けた。 そして「引退? そこはまだ話していないが、僕の思いとして、まだやって欲しい、という気持ちがある」と、再起へのエールを送った。海の向こうからは、堀口恭司がツイッターで「未来君格闘技やめないで欲しいな!!」と投稿した。 榊原CEOもそうだ。 「こんなところで辞めさせる気はない。逃がしはしない。復帰戦の熱烈ラブコールを送りたい。辞めることはないと信じている。未来がファンの溜飲を下げる戦いに挑んでいく姿を見たい。それをRIZINの舞台で作り出したい」 そして榊原CEOも、復帰のストーリーには、ボンサイ柔術に対抗できるような新しい練習環境が必要だという持論を展開した。 「プロ格闘家は周りが神格化することがある。自分を見つめ直すいい機会だ。何が足りないのか。今の練習環境も含めて、ニュー朝倉として生まれ変わるために、どうレベルアップに挑んでいくのか。頭のいい努力家だから色んなことを考えると思う。彼が挑んでいける方向性を作りたい」 新型コロナの感染拡大による緊急事態宣言が延長されイベントの人数規制などがかかる厳しい条件下、総合格闘技イベントとしては「PRIDEミドル級トーナメント」以来となる18年ぶりの東京ドーム大会が開催された。 榊原CEOは、1997年に自らが手がけたヒクソン・グレイシー対高田延彦戦にクレベル対朝倉を重ねた。あの日、400戦無敗のグレイシー柔術家の腕ひしぎ十字に無念のタップをした高田は「ここからが始まり」と言ってドームを後にしたという。高田は、その翌年、また敗れたが、東京ドームでリベンジマッチのリングに立っている。