養老孟司少年は「小1で大人の本を読んでいました」
『バカの壁』で知られる解剖学者の養老孟司さんが、大の虫好きであることは広く知られている。幼少期から虫に夢中で、80歳を過ぎてもなお自ら野山を駆け回り、採集した虫を標本にしている様子はテレビなどでも度々紹介されてきた。 ただ、養老少年が夢中になったのは虫だけではない。幼い頃から数多くの本にも接してきた。そして今なお新しいものに貪欲に手を伸ばしているという点は、虫と同じだ。 自らの人生を振り返りながら、悩める現代人に「軽く生きる」ためのヒントを示している新著『人生の壁』の中には、たびたび本の話が出て来る。虫と同様、本もまた養老さんの人生に大きな影響を与えてきた存在なのは間違いない。子どもの頃、養老さんはどんな本を読んでいたのか。最近はどんな本に刺激を受けているのか。 以下、同書をもとに見てみよう(引用はすべて『人生の壁』より) ***
ませていた少年時代
小学生の頃の養老少年は自然の中で遊ぶのが好きだったという。 「当時の私の関心事はといえば、基本的に裏山に行って虫を採るとか、川で魚を採るとか、そんな程度でした。鎌倉の海にいるタコをモリで突いて家に持ち帰って食べるといったことが日常生活の中で一番の楽しみだったのです」 そして、もう一つの「好物」が本だった。 「山で虫採りをするのも好きでしたが、一方で本も大好きで、大人向けのものにまで手を出していたものです。あの頃、本は貴重品でした。読みたい本が手に入らない。児童文学全集が揃っている知り合いのことを、いいなあとうらやましく思っていました。図書館も、いまのように充実していない時代です。 一応学校に図書館はあったのですが、あまり利用しませんでした。そもそも私は気に入ったページを破いたりするので借りるのに向いていない。そういう人間が図書館を安易に利用してはいけない。その程度の常識は持っていました。 母親の田舎の相模原市(神奈川県)に疎開した時、その先のおばさんが文学少女でした。蔵から呉茂一(くれしげいち)訳のギリシャやローマの神話、佐々木味津三(みつぞう)の『右門捕物帖』などを引っ張り出して貸してくれたものです。 “おじいちゃんに見つからないようにしなさい” と言って渡してくれたのをよく覚えています。まだ小学校一年生くらいでしたから、そんな大人向けの本を読んでいるのがわかると、“子どもが読むんじゃない”と取り上げられるのが明らかでした。 それ以降、実は、ギリシャやローマの神話をきちんと読んだことがありません。それなのにほとんどが頭に入っているのは、当時、夢中で読んだからでしょう。のちに巌谷小波(いわやさざなみ)の『百合若(ゆりわか)大臣』を読んだ時に、この元ネタはギリシャの叙事詩『オデュッセイア』だと気づいたことをよく覚えています」 少し補足すると、巌谷小波は明治時代の児童文学家。『百合若大臣』は、もとは室町時代からある物語で、巌谷が子ども向けの読み物に翻案したヴァージョンがある。この話がギリシャの叙事詩に似ているという説はかねてよりあったのだが、小学1年生の養老少年はすでにギリシャの古典に目を通しており、自力でその説にたどり着いていたということになる(ただし、実際に元ネタなのかどうかは諸説あり)。 「大人から見ればませた少年だったのかもしれません。一通りの漢字と平仮名は読めていたこともあり、大人向けの本をどんどん読んでいました。幼い頃から本を多く読んでいたことは、やはりその後の仕事に役立っているのは間違いありません。おそらく、本に対する思い入れも平均的な普通の人よりも深いのかもしれません」