44歳になり、男性に「見えない存在」にされる日々。これまで知らなかった自分の気持ちが見えてきた
現在44歳の私は、年齢を重ねることがまったく気にならない。気にならないばかりか、楽しんでさえいる。 【画像】16歳のころの筆者。周りから大人っぽいと言われていた もちろん年を取ることで起きる変化がすべてありがたいわけではない。腰は痛いし、目も見えづらくなってきている。お酒にも弱くなってきていて、グラス1杯のワインを飲むことを取るか、安眠を諦めるかでせめぎ合わないといけない。白髪、小じわ、深いしわは気になってしまう。保湿剤は若い時よりも高価なものを使うようになった。 上に挙げたことはどれも嫌だけれど、老いていくことで、これまで自分に必要だと気づかなかったものを手に入れることができた。「目に見えない存在」になり、望まない男性の気を引かないですむようになったのだ。 こう言ってみたところで、異論がある人がいることも承知している。社会は年齢を重ねる女性に対して優しくないということを、女性たちはよくわかっている。何かを求めた時にない存在として扱われることがうれしい人なんていない。でも、世の中は年齢に関係なく、少女や女性に優しくない。私がここで伝えたいことは、店員の視線が私を素通りすることよりももっと悪意を含んだものだ。
多くの女性に似た経験があるのでは…
見知らぬ男から最初に触られた時のことを今でも覚えている。真昼間のアメリカ・ニューヨークのブルックリン。ハドソン川とヴェラザノナローズ橋を眺めに地元の人たちが集まる人気スポットを訪れた時だった。当時15歳で、夏休みを利用してニューヨークを自転車で周っていた。この場所は、小さい頃に両親が連れてきてくれて以来お気に入りになっていた。 自転車から降り、橋の下に押し寄せる白波を夢中で眺めていた時、履いていた短パンの上から男に触られたことに気づいた。その男はすぐに自転車で逃げた。そばでは彼の友人がはやし立てていた。本当に一瞬のうちのことで、計画的なやり方が声を上げられないほど怖かった。この人物はこれ以前、あるいはこれ以後、どれだけの無防備な少女や女性に手を出しているのだろう。 この出来事をきっかけに1人で散歩に出ることが怖くなった。この男を再び見かけることはなかったが、ブルックリンでのあの日から30年近く経った今でも忘れることはない。 ずっと自分のことを責めてきた。「もし、自転車から降りてさえいなければ…」「もし、短パンを履いていなければ…」「もし、あの光景に夢中になっていなければ…」 公の場でこのような目に遭わされたのはあの男からだけではない。ブルックリンでの出来事の翌年のこと。また別の男に門のところに追い込まれ、両足で腰のあたりを挟まれた。相手は自分の腰を押し付けてきたので、10代の体が持ち合わせるすべての力を集めて振り払った。そいつの友人たちの笑い声を背中で聞きながら、反対方向に急いで逃げた。 まだある。自宅から数ブロック先の親戚の家に向かっていた時のこと。10代前半だったのだが、歩いている私の横にバンがスゥーと止まった。父親ほどの年齢の運転手の男が「こんにちは、かわいこちゃん。飴いる?」と声をかけてきた。直感的に危険を感じ取り、できるだけの速さで逃げた。 多くの少女や女性に似たような経験があるのではと思う。少年や男たちからクラクションを鳴らされたり、口笛を吹かれたり、卑猥な言葉を投げかけられたり…。彼らは興奮して楽しんでいるようだが、女性たちに恐怖を与えたいと明確に思っている男も中にはいるとみている。 今から数年前のこと。昼間に田舎町を歩いていると、男が近づいてきた。不快に感じるほどの距離まで近づいてきたところで「いいおっぱいしてるね」とささやかれた。男は自分の体をこする仕草をし、去っていった。すぐ近くには保育園があるような場所だったので、警察に不審者がいると通報した。警察に通報したのはこの時が初めてだった。 残りの道中は最大限に注意を払いながら帰った。男から卑猥なことを言われた証拠はない。警察が駆けつけたかもわからない。 望まない男性の注意を引くことは場所を問わず起こる。私が挙げた例はすべて街中や郊外、田舎町で起きたことだが、ナイトクラブやスーパー、真昼間の混雑した道端でだって起きる。 女性は笑顔でいるように言われる。電話番号を聞き出そうとしつこく迫られて、無視したり、とがめたりすると罵倒される。怖くて気持ちが折れるし、疲弊する。