44歳になり、男性に「見えない存在」にされる日々。これまで知らなかった自分の気持ちが見えてきた
物心がつく前に家庭で教え込まれた
物心がつく前に家庭内で似たような経験をする女性も少なくない。私自身もそうで、女性の体は批判され、吟味され、あれやこれや言われる対象だとまずは自分の家族から思い込まされた。 おじさんとおばさんがあなたの足の長さについて何か言ったり、両親が「どのくらい胸が膨らんでいる」(あるいは膨らんでいない)と開けっぴろげに口にしたり、祖父母が「女性らしく座っていない」と注意したりすることがある。その意味するところが理解できるようになる前の、幼い段階から言われるため、それが当たり前だと考えるようになる。 私の場合は最悪で、望まない男性の気を引いてしまうのは女性のせいだと教えられてきた。理由がどうであれ、だ。もし、ブルックリンや親戚の家までの道中に経験した、恐怖の中で激怒した出来事を両親に打ち明けられていたとしても、「あなたが悪かった」と言われただけだと思う。 世間もまったく同じだ。 アメリカ合衆国の前大統領であるドナルド・トランプを見てみて。トランプがどんなふうに女性を扱ってきたか。そして、社会がトランプの不快極まりない行為を普通なことにしてきたか。 2024年の今でも、私たち女性は男性のおもちゃだと見なされている。反論すると、無礼だとか冷たいだとかレッテルを貼られ、冗談もわからない、わきまえないやつだと言われる。 だから、男性に存在を無視される年齢にようやくのことでなれたことがうれしくてたまらない。毎年、年を重ねるたびに、ますます望まない男性の注意を引かなくなってきている。性的で失礼なことを言われたり、体を触られたりということに事前に備えることなく、散歩に出かけることができる。 本来であれば、年を取らなくてもこうであるべきだ。安全だと感じられるまでに人生の半分も待たされるべきではない。年齢が上がらなくても、誰かが近づいてこないか、次は何を言われるかと怯えなくていいようになってほしい。気力を奪われるのは本当にもったいない。そんなことで無駄にした時間を創造的なものや人とつながることに使えていれば、もっといろんなことができていたはずだ。 もし女性がきちんと尊重されていたら、体を求められるだけでなく必要とされていたら、年を重ねても見えない存在にはならないんだろう。私が今これほどまでに喜びをかみしめることもなかっただろう。