埴輪の目はなぜやさしい? 約100件が集結する「はにわ」展で考えた
「挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展『はにわ』」が東京国立博物館で始まった。誰もが歴史の教科書では知ってるけれど、たくさんの埴輪を見られる機会なので紹介しよう。埴輪は険しい顔をしてたりしない。見ていると和む。人物や動物や建物を見て、埴輪の人たちってどんな時代に生きていたのだろうと想像する。 【写真17点】人・動物・家…、様々な埴輪
埴輪といえばコレ!な“有名人”が修理後初お披露目中
展覧会を見に行く前に何か少し読んでいこうと思って、本棚を探っていて、そういえば、橋本治さんの『ひらがな日本美術史』の単行本の最初の号の表紙って、埴輪だったなと思って取り出した。 この巻のキャッチフレーズは「素朴な疑問から出発して古代の日本人を読み解く」。それが示すように、埴輪はなぜやさしい目をしているのか、それは丸いから、それはただ穴がくり抜かれているだけだから、それはなぜなのか。縄文の頃の土偶と比較して、どうしてこうも違うのか。さすが橋本治先生、滔々とお話ししてくれている。 《埴輪 琴をひく男子》の写真から始まって、7ページに渡って埴輪を語ってくれる。埴輪の柔和さ、一方、縄文の火焔土器の形状の必然までも。埴輪の目は黒目がち(というか黒目しかない)こととか、全体の丸みに関してなど。この一章を読んでいくのと読まないでいくのとでは、展覧会を見るときの目が違ったと思う。 埴輪は今から1750年くらい前の350年ほど続いた古墳時代からやってきた。王の墓である古墳に立てて並べられた焼き物だ。最初は円筒などだったが、丸みを帯びた形状で服や顔、しぐさなどが愛らしく簡略化されている。家形や動物もある。 教科書などで見て、広く知られているのはこの《埴輪 踊る人々》だろう。このポーズは踊っているという説と片手を上げて、もう片方の手で馬の手綱を引いている様という説がある。2022年10月から解体修理を行い、今年2024年3月末に修理が完了し、本展が修理後初のお披露目だそうだ。
さて、古墳時代っていつ? という疑問もあるだろう。縄文があって(すごく長い)、弥生があって、およそ3世紀から6世紀の頃。古墳が多く作られた。王たちの墓に埴輪が並べられた。王は最初は祭祀を執り行う者、やがて権力で統率する者、官僚的な立場の者になる。そういう立場の人間の魂を守り、鎮める役割を果たすのが埴輪だと考えられている。 埴輪は人や動物、家などを模っていて、しかもそれぞれが愛嬌があるというか、何も難しくなく、親しみを持って見ていられるのでそれだけで楽しいのだが、今回の展覧会で特筆すべきは「埴輪 挂甲の武人」が5体、勢揃いしたことだ。 埴輪は素焼きのものと思い込んでいたら、実は彩色されていたらしいということでそれを復元した姿も見られる。白(白土)、赤(ベンガラ)、灰(白土にマンガンを混ぜた)で色付けをされたらしい。 動物の埴輪にも見るべきものが多い。すごくカッコいい馬とか、まるでイタリアのお祭り「パリオ」のように旗を立てた馬も。 動物は馬ばかりじゃない。犬も猪も鹿も魚も水鳥もニワトリもいる。 家や船や器材を模った埴輪は形象埴輪と呼ばれる。 そして、古墳時代のおしゃれリーダーの男女。 埴輪の時代にはまだ仏教も来てなくて、人々は高い山とか、荘厳な滝とか、何千年も生きている大樹を畏れ敬い、信仰の対象としていた時代だろう。動物たちを愛で、ときに協働し、農耕が行われ、倉庫に穀物を蓄えて安定した日々を送っていたのだろうか。武人がいたということは戦争はあったのだろうか。埴輪たちの穏やかな表情は何を伝えているのだろうか。 「埴輪の表情がやさしいのは、その素材と一体になれてしまった作り手達が、それだけで十分にやさしかったからだろうと。彼等は十分に現実を愛していて、現実を超えたものを求める必要がなかった。私には埴輪の時代の見せるやさしさが、超越的な神を必要としない世俗の世界のやすらぎの結果だとしか思えない。」 橋本治『ひらがな日本美術史』 挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」 一部をのぞいて写真撮影OK。2025年には九州国立博物館にも巡回。ショップではグッズが充実している。 会期:~2024年12月8日(日) 会場:東京国立博物館 平成館 開館時間:9:30~17:00 (毎週金・土曜、11月3日(日)は20:00まで開館。入館は閉館30分前まで) 休館日:月曜(11月4日(月)は開館、11月5日(火)は本展のみ開館)