2025年最高のスタートを切った松山英樹「どの試合でも勝ちたい」【松山英樹新春特番単独インタビュー(2)】
先日のPGAツアー「ザ・セントリー」で35アンダーのツアー記録で優勝した男子ゴルフの松山英樹選手が、CSゴルフネットワークの新春特別番組『松山英樹 ~La Strada~(1月1日よる7時初回放送)』で単独インタビューに応え、2024年シーズンの1年間を振り返りました。同局で中継解説を務めるプロゴルファー・佐藤信人さんとプロキャディ・杉澤伸章さんが話を聞いています。 【動画】松山英樹が世界ランク1位でパリ五輪金メダリストのスコッティ・シェフラー相手に1UPで勝利【松山英樹出場ザ・プレジデンツカップ4日目】
パリ五輪の経験が活きたPGAツアー10勝目
佐藤 パリオリンピックが終わり1週間空いて、PGAツアー10勝目をあげた「フェデックスセントジュードクラシック(2024年7月15日~18日/TPCサウスウィンド)」でしたね。メダルの興奮とか、時差ボケもあるし、あと泥棒にもあったりとか(※1)いろいろあったと思うんですが、会場に入った時はどうでしたか。 (※1:パリ五輪からの帰路ロンドンで盗難にあい、松山選手自身の財布のほか、早藤将太キャディと黒宮幹仁コーチはパスポートが盗まれ、ビザ再発行手続きのため米国入国ができなかった。なお銅メダルは無事だった) 松山 セントジュードに行く前に、オーランドの家に帰ってちょっとゆっくりしました。パッティングが微妙だったので、パターを何本か出してきて試し打ちしたりして。会場に入ってからは、ショットはいつも通り悪くもないし良くもない、普通だなみたいな感じで、あとはパッティングがうまくいけばと。まあコーチもいないし、好きにやろうと。 杉澤 キャディも田淵大賀君(久常涼選手などのキャディ)と初めてのコンビで、新鮮さもあったのかなと思うんですよ。 松山 新鮮さはすごくありましたね。彼は英語が喋れるので、同伴競技者とも楽に過ごせました。 佐藤 この試合に新しいパターを持ってきたというのは、このコースのグリーンにあうという感じだったんですか? 松山 いや全くそうではなくて。去年かな、このパターを手に入れた時にコーチと一緒にデータを取っていて「一番合ってるんじゃない?」と話をしていて。もともとパターヘッドに線が入っていないと打てなかったんですけど、夏ぐらいに線が無くてドットだけのものでも慣れてきたので、使えるかもと思って引っ張り出してきたらよかったという。 佐藤 なるほど。3日目を終えて5打差リードで最終日というのは初めてですよね? 松山 そうですね。調子も悪くなかったですし、パターもそんなに悪くなってないですし、普通にやればいいかなと。 佐藤 最終日15番でダブルボギーを打って一時逆転されてしまいましたが、この時の心境って覚えてます? 松山 14番を池に入れて2打差になっているのはわかってました。 佐藤 あれはナイスボギーでしたね。 松山 そうですね。それで15番のティーショットを右に曲げた瞬間に「あ、やばいな、これはちょっと厳しい、ボギーであがれたらいいな」と思っていたらダボになってしまって。「打っちゃった・・・」と気落ちはしましたけど。 佐藤 でも、17番で長いバーディパットが入ったのがもう信じられなかったんですよ。同じプロゴルファーとしては、例えば自転車の車輪が逆回転してグルグルって回っているところ、強引にギャンって前に進めていくような流れじゃないですか。 松山 そうですね。あれは本当に嬉しかったですね。 杉澤 終始表情は変わってないようにみえましたが、そこまで動揺してない感じだったんですか? 松山 まあなんか「やっちゃったな」みたいな感じですね。 佐藤 18番ティーショットも、左サイドが池なのでほとんどの選手が右に行っていたんですが、松山選手のショットは左で、現地レポーターのボーンズ(プロキャディのジム・マッケイ氏)も「これは危ない」みたいなレポートだったんですが、本人としてはどうだったんですか? 松山 ちょっと左に行っちゃったと思ったんですけど、(ペナルティエリアは)絶対に超えるラインだったので大丈夫だと。 佐藤 僕はもうティーショットが成功した時点でセカンドを失敗するわけがないと思っていましたけど、まさか池に近い左サイドに打つとは思いませんでしたが、手応えはどうだったんですか? 松山 グリーンの後ろにテントがあって、そのフレームの10ヤード右を狙ったんです。(ピンに近づけたいという)自分の気持ちも入るから、どうせピンの方に行くだろうと。ドローボールを打つし風も右からだし、と。そうしたら案の定「いったな」という感じでした。 佐藤 冷静ですね。僕は中継解説をしていて、丸山茂樹プロが1番からずっと見ていてくれたようなので、中継が終わってから丸山プロに電話した時に「もう英樹と話したよ」と。「吐きそうだったよ」って言ったら「僕のがもっと吐きそうでした」って答えていたと聞いたんですが、どのあたりが一番吐きそうでしたか。 松山 でもオリンピックの18番があったので、全然大丈夫でしたね。吐きそうでしたけど(笑)、あのときの18番の方がもっとヤバかったですね。