連載:アナログ時代のクルマたち|Vol.32 ロータス23
11歳の時だから小学校5年生の時だったか、当時の日本グランプリをテレビで見た記憶がある。もちろん当時はあまりよくわからずに、やたらと車高の低い車がブッチギリに速く優勝したという断片的な記憶しかない。 【画像】少年の心を掴んだ「車高が低くてぶっちぎりに速い車」、ロータス23(写真5点) 中学になって車仲間が増え、自動車雑誌などを買うようになると、その小学校時代の疑問がふつふつと沸いた。というのも当時の日本グランプリ優勝マシンはロータス23という名の車であること。その後塵を拝したのはフェラーリ250SWBやアストンマーティンDB4ザガート、それになんとジャガーDタイプなんかも走っていた。単純に自動車のヒエラルキーでいえば、排気量がでっかくパワーのあるマシンが速い!これ当たり前なのに何故V12エンジン搭載車や3700ccもある直6エンジンで300ps以上のパワーがあるマシンが、高々1650ccの4気筒に負けてしまうのか、とにかく中学生レベルの知識では謎だった。 以来、そのベッタベタに低いマシンは自分の脳裏に焼き付いて離れなかった。数年前に、スパークというミニカーメーカーが出していたロータス23日本グランプリ優勝車というやつを買った。購入した後で気が付いたのはフロントの左右ホイールの色が違うこと。ロータス独特のウォブリー-ウェブホイールは右前輪だけが黄色かったのである。慌てて、購入元に連絡してみると、そうなっているとのこと。他のホイールは黒で右前1輪だけ黄色なので目立った。恐らくは何かの事情でレース当日に履き替えたのだろうが、今に至るまで、その理由は解らずじまいである。 そのウォブリー-ウェブホイール、メタル製ディスクホイールの一種だが、独特なデザインを持ち、エレクトロン・マグネシウム-アルミニウム合金により鋳造されていた。最初に使用したのはロータス12。以後ロータス30あたりまではこのスタイルのホイールが使われていたようである。デザインしたのはギルバート・マック・マッキントッシュ。彼は航空機のデザイナーであり後に誕生するロータス・エリートの開発で重要な役割を演じていたようだ。 さて、今回の主役ロータス23である。御存知の通り23はロータスの開発ナンバーで、1番から通し番号が付けられている。即ち23番目のロータスということだ。原型となったのはそのひとつ前の番号であるロータス22。こちらはシングルシーターのフォーミュラであるが、そのパイプフレームを流用してオープン2シーターのレーシングカーに仕立てたのが23であった。デビューしたのは1962年のニュルブルクリンク1000km。雨が降っていたという理由もあるだろうが、ジム・クラークがドライブした僅か1.5リッターのコスワース4気筒を搭載するマシンが、スタート後長い1周を終えてメインスタンド前に姿を現した時、2位以下を27秒も引き離していたという。 残念ながら独走していたクラークのマシンは排気マニフォールドのダメージにより12ラップでリタイアをしてしまうが、997ccのケントユニットを搭載したもう1台の23は、見事に1リッタースポーツカークラスでクラス優勝を勝ち取り、総合でも8位に入った。出場したマシンはフェラーリ330LM、アストンマーティンDBR1など錚々たるマシンが名を連ねていたが、僅か1.5リッターのマシンに独走を許したのだから、如何にその時のロータス23が脅威に映ったか想像できる。 初期の23は基本的に1~1.3リッター程度のエンジンを搭載することが前提で設計されていた。これに対して、23Bと呼ばれるモデルはよりパワフルな1.6リッターエンジンを想定し、フレームにストラクチャチューブが追加されている。また、初期モデルでセンターに位置していたギアシフターはコクピットの右側に移され、一体化したラジエターとオイルクーラーが装備されるようになっていた。 前述したウォブリー-ウェブホイールは、初期モデルでは前後共に4本スタッドであったが、ニュルブルクリンクの後、ル・マン出場に際し、結構間抜けたウィンドスクリーンを装着し、リアに6本スタッドの ウォブリー-ウェブホイールを装備していた。ところがこれをル・マンの車検担当員が認めず、急遽4本スタッドを作り直してル・マンに送り込むものの、今度は構造上の問題があるとして出場を認めなかった。後にル・マンの主催者は間違いを認めて和解しようとしたが、コリン・チャップマンは激怒して2度とル・マンには出ないと宣言。彼が死ぬまでロータスがル・マンに出場することはなかったという。 ジャイアントキラーの異名を取ったロータス23は、その卓越したハンドリングによってヨーロッパのみならずアメリカやオーストラリア、ニュージーランドなどでも大活躍し(そして日本でも)、1961年から64年までの4年間に131台が生産されている。また、その人気ゆえに多くのレプリカも生産された。レジストリーがしっかりしているのはフェラーリとポルシェ、それがダメなのがロータスと言われているようだが、オリジナルの131台に対し、世界にはその倍以上のロータス23が生息しているようである。 ロッソビアンコのロータス23はシャシーナンバー23/S/50。エンジンナンバー 70/M6015Aということだが、車自体のヒストリーについては解っておらず、この二つの事実があるのみでボナムスのオークションに出品された。 文:中村孝仁 写真:T. Etoh
中村 孝仁 (ナカムラタカヒト)