400年の歴史誇る宿場町・奈良井宿に東京からデザイナーが夫妻で移住。町家の改修、コミュニティとの距離の取り方、歴史的集落で人と関わり暮らすということ 長野県塩尻市
集落での生活で見出した、コミュニティとの距離の取り方
奈良井宿への移住を即決した郁也さんですが、移住者ならではの苦労もあったといいます。 「奈良井宿の町家は、空き家が出ても滅多に売りに出されることはないんです。ここに定住をしていなくても、年に1度、お盆に家族が集まるための家として残しておくなど、手放さずに残されることが多いので、人の出入りが起こりにくい状況があります。そのようなまちで初めて空き家バンクから一般向けに売りに出されたのが、僕たちが購入した町家でした。集落にとって初めてに近い移住者ということもあり、まちの人たちとしてもどう接すれば良いか、距離の取り方が難しかっただろうなと思います」
「集落の行事は、皆さん仕事よりも優先するほど真剣に取り組んでいます。東京でのドライな近所付き合いに慣れてしまった僕たちからすると驚いてしまいますが、代々ここに住んできてまちへの愛着が強いので、それが当たり前なんです。そうした保守的な空気感が移住者を入りにくくしたり、若い人がまちを出ていってしまう一因にもなっているかもしれませんが、一方でそれによってまちが守られているのも事実です。中山道の宿場町には火事でまちごと燃えてなくなってしまったところもありますが、ここが守られ続けているのは消防団をはじめとするまちの人々の日常的な防火意識によるところは大きいのではないでしょうか」
奈良井宿へ移住してから最初の2、3年は、集落内のさまざまな行事への参加を求められたり、自治会の役割を任されるなど、戸惑うことも多かったのだとか。 「若い人が少ないということもあって、過度に期待されてしまった面もあったと思います。また集落内では中に人がいれば勝手に玄関から入っていく、なども当たり前なのですが、そうしたコミュニティの距離感にも慣れるまでは大変でした。リモートワークという働き方もなじみがないようで、家にいると働いていないと勘違いされてしまったりして、仕事中なのに用事を頼まれたりすることもありました。今は少しずつお互いに距離の取り方を調整できるようになってきて、ようやくここでの暮らしに慣れてきたかなと思っています」 移住の動機になったという、暮らしに対する物足りなさについてはどう感じているのでしょうか。 「自然と共に生きる生活ができていて、その意味では非常に充実しています。花道を通じてできることも大きく広がりましたし、移住してからはまちに残る山岳信仰の文化にも触れ、新たな生きがいになっています。東京にいたころとは自然との関わり方が根本的に変わりました」 もうひとつ、集落との関わりの中で大きな変化があったそう。 「この家のすぐ近くに空き家が出て、集落内で借り手を募集していたので借りることにしたんです。宿泊施設として主に繁忙期の週末に開けているのですが、宿泊客とのコミュニケーションができ、宿をきっかけに友人も増えました。仕事の余裕がある時にしか開けられないので、大きく稼ぐことはできませんが、実入りのある趣味という程度で楽しんでいます。地方でしかできない事業のもち方だと思います。宿を運営するようになって、集落との関わり方もまた少し変わってきていますね」
郁也さんが感じる古いコミュニティに飛び込むことによる苦労や地方暮らしの喜びは、奈良井に限らず全国各地の地方に共通するものでしょう。 郁也さんが、まちとの関わりを調整しながら見出した暮らしの豊かさは、これからの日本を生きるうえでのヒントになるのかもしれません。 ●取材協力 Fumiya Yamamoto wakamatsu ツバメアーキテクツ
ロンロボナペティ
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