エルフ荒川、先輩・蛙亭イワクラへの感謝。かけられた言葉に「ホント震え上がりました」
TikTokでバズって、宗右衛門町でフィーバー
荒川:ギャルを解放してからは、マンゲキ(よしもと漫才劇場。大阪よしもとの若手が活躍する)でもレギュラーになれました。4年目ですね。 ――8年という目標の半分でそこまで行けたと。 荒川:自分でも「はやっ!」って思いました。でも活躍してる芸人さんってみんなネタを作る量もハンパじゃないし、ネタ合わせの真剣さも全然ちゃうから、ここからもっとがんばらなきゃと思いました。でもそれは全然つらくなくて、むしろがんばらないと落ちちゃう世界っていいなって感じでしたね。 はる:当時はまだ見取り図さんとか、アインシュタインさんがいらっしゃいましたね。芸歴がちゃうから、バトルライブでは一緒になりませんでしたけど。 荒川:カベポスターさんとか、ダブルヒガシさんもずっと一緒だった。あと、天才ピアニスト。先輩でいうと、蛙亭のイワクラさんにはめっちゃお世話になってて。 私って見た目とノリがチャラチャラしてるから否定されがちだけど、イワクラさんだけはずっと「エルフは絶対劇場上がれるから、大丈夫やで」とか「荒川はそのままのほうがおもしろいよ」って言ってくれたんです。その言葉もあって、私はギャルとして舞台に立てたのもあります。 ――いい先輩ですね。 荒川:「荒川は時間かかると思うけど、絶対みんながわかってくれるから。ウソつかずにそのままやっていっていいよ」って言われたときは、ホント震え上がりました。でもイワクラさんって私が相談するまでは、何も言わないんですよ。「こうしろ」とか言われたことって一度もなくて。本当に感謝してます。 ――劇場に上がったのが2019年ですが、翌年にはコロナ禍になりました。 荒川:それで劇場の出番がなくなったんで、TikTokとかで「ギャルあるある」の動画を上げ始めたんです。その動画と『おもしろ荘』(日本テレビ)で知ってもらえるようになりましたね。 ――TikTokに動画をアップするようになったときは、これで売れるぞと狙っていたんですか。 荒川:全然です。やれることがないからやってただけで。NSCのころから、ネタを考えるときは「あるある」とか切り口が大事ってめちゃめちゃ言われてたんですけど、私それめっちゃ苦手なんですよ。でもギャルのマネだけはできるなって。 昔はずっとギャルと飲んでて、「なんでこんな不毛な時間過ごしてんねん」って落ち込んだ時期もあったんですよ。毎日朝5時まで飲んでヘコむのに、それをセーブできない自分がホンマにイヤで。でも、そのとき一緒にいたギャルたちの「あるある」を動画にしたら、お笑いが好きな人とは違う層にまで私たちを知ってもらえたんでよかったなって。 ――不毛だと思った時間も、無駄じゃなかったんですね。 荒川:(大阪の)梅田歩いてたら、ビール缶持ってるカップルが「荒川やん!見てんで!」って声かけてくるんですよ。声かけてくれる人がみんな缶ビールかチューハイ持ってましたもん。シラフの人に知られてなかった。一回、宗右衛門町(大阪の歓楽街)で「荒川フィーバー」起きたし。 はる:どこでフィーバー起きてんねん。 荒川:そうやってSNSのフォロワーが増えて、逆にお笑い好きとか芸人にも認められるようになりましたね。