「ほぼ日手帳」好かれる理由 ユーザー目線でNo.1に 「ほぼ日手帳」(上)
「ほぼ日手帳」はわずか四半世紀足らずで日本手帳シーンを様変わりさせた。2001年に発売するまで、事業主体の「株式会社ほぼ日(当初は有限会社東京糸井重里事務所)」に手帳発行のノウハウはほとんどなかった。しかし、2024年版の販売部数は90万部で過去最高を記録し、累計でも1000万部を超えた。なぜこんなに好かれるのか。理由に迫った。
アイデアの元になった著名コピーライターのライフスタイル
ほぼ日の創業者は著名コピーライターの糸井重里社長だ。前身企業の東京糸井重里事務所を1979年に設立。98年からウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げた。手帳名や現社名の「ほぼ日」はこのサイト名を縮めた愛称に由来する。メディアが起点となった成り立ちは、後に誕生する手帳の独自性とも深く関わっていく。 「ほぼ日手帳」が売り出されたのは2001年から。「ほぼ日刊イトイ新聞」のスタートから3年後だ。立ち上げ当初から大勢のファンを抱えたサイトは一種のコミュニティー的な連帯感を帯びていた。あえてバックナンバー(アーカイブ)を残さない、糸井氏の日替わりエッセー「今日のダーリン」を読む日課も広まった。 絆が深まるにつれて、学校の生徒手帳のような、持ち歩ける形でサイトとのつながりを感じられる「何か」を求める気持ちが読み手の間に強まっていったようだ。同時期に運営側でもサイトとは異なる、実物の「商品」を作ろうという検討が進んでいた。 「自分たちが欲しい物、使いたい物を考えた末、手帳にたどり着いた」。立ち上げ段階から長く手帳事業に携わってきた小泉絢子副社長兼最高執行責任者(COO)は当時を振り返る。 糸井氏が「今日のダーリン」内で「手帳を作りたい」と呼びかけたところ、予想を上回るほどのポジティブな反響があった。手帳の潜在的なニーズを感じて、事業化のプロジェクトが動き出した。 既に当時、国内の手帳市場は飽和ともいえるほどの商品が用意されていた。いわゆるビジネス手帳やシステム手帳が書店・文房具店の売り場では幅を利かせていた時代だ。 しかし、ほぼ日手帳は別の道を選んだ。既存手帳が最大の役割と位置付けていたスケジュール管理を最大の柱に据えない方向へと舵(かじ)を切ったのだ。 「アイデアの元になったのは、糸井本人のライフスタイル」(小泉氏)だという。糸井氏は常に文庫本を持ち歩く習慣があり、思い浮かんだアイデアやフレーズを余白にペンで書き留めていた。言葉を生業(なりわい)とするコピーライターらしい習慣だ。 そうした糸井氏の「書き留め癖」から発想が広がり、「何でもかんでも書き込める」「文庫サイズでかさばらない」「余白スペースはたっぷり」といった、今に通じる、ほぼ日手帳の基本フォーマットが固まっていった。