マニアのルーツは高校時代の工房通い 転戦中の長電話/星野陸也のギア語り<後編>
星野陸也はツアーきってのギアオタク…いや、ギアマニアとして知られている。その繊細さと探究心はメーカー担当者も腰を抜かすほど。マニアになるきっかけと、メーカー担当者とのやり取り、クラブ開発への愛を語った。(聞き手・構成/桂川洋一、谷口愛純) 【画像】来季米ツアーの大西魁斗の14本
ギアマニアの原点
そもそも星野がクラブにこだわるようになったのはジュニア時代。鉛の切り貼りは「先輩がパターに貼っているのを見て、重心が変わるのが面白いと思った。遊びで色んな形にしていた」と中学時代に覚えたという。そして地元・茨城の水城高進学後にマニア度は加速。近所のゴルフショップや工房をいくつも回るうちに「グリップ交換をするにも、人によって(手作業の)クセがあるんだ」と発見した。 自分の好みにピッタリ合う巻き方をしてくれたのが、水戸市内で当時有名だったクラフトマン。顔を合わせるうちに、話についていけないと思った。「シャフトのトルクがどうだ、振動数がどうだ…と言われても全然わからない。そもそもパターを少し曲げてもらっても、アップライトにするとどうなるか、フラットだとどうなるかも知らなかった」
店主に呆れられた。「『クラブのこと、全然知らないじゃん。それじゃプロになんかなれねえよ。これ読んで勉強しろ』って、メーカーのカタログをポンと渡されたんです」。その後、星野の工房通いはさらに増え「まずは話の内容が理解できるようにしようと思ったのがきっかけ。2、3日に1回のペースで、ほぼ話を聞くだめだけに行きました」 そもそも星野は、片山晋呉らトッププロを輩出した名門ゴルフ部に入れたこと自体が「運が良かった」と言う。「1学年に(特待生が)5人だけで、周りは全国大会優勝者、ナショナルチームにいるようなトップレベルの選手ばかり。自分は中学生の時に全国大会にギリギリで出られたくらいだった」。刺激たっぷりの環境で、授業と授業のあいだの10分間休憩も、教室の隅に置いたパッティングレールの上で球を転がし、クラブに鉛を貼り、雑誌を読み漁る毎日。ゴルフギアの勉強は熱意にさらに火をつけ、プロとして第一線で戦えるようになった。