「クリスマスも正月も祝う」日本の不思議な価値観。神道、仏教、キリスト教と多様な宗教が受け入れられた背景
神様を信じていれば、人々は助け合うことができるようになる。だから宗教は、国を統治するために必要なものとして機能します。これが、全世界的に宗教が発生し、それが広まった理由なのではないかと言われています。 ■稲作文化の日本でも宗教は不可欠 日本においても、宗教は不可欠でした。日本は稲作文化なので、共同で農業をする必要があり、手と手を取り合って稲作を行わないと、全国民が飢えてしまうリスクがあったのです。
米は栄養価が高く、非常に優れた食糧です。一方で、戦乱の元になってしまうリスクが大きい食糧であるとも言えます。 また、川から水を引いて稲作をするためには、大規模な灌漑工事や関係者の利害調整のコミュニケーションが必須になります。 水源や水路を決めなければなりませんし、上流で水を取りすぎてしまうと下流でなかなか取れなくなってしまうので、場所ごとに引く水の量に対する取り決めを設けることも必要です。 水路の整備に付随する作業を滞りなく進めるには、全体の指揮を執るリーダーの存在が不可欠です。リーダーの指揮のもと、灌漑工事をしたり、水の配分を決めたりする必要が生まれたことが、身分の差をつくることにつながった1つの要因ではないかとされています。
そして、そうしたリーダーの誕生や身分の差は、不満や怒りの感情を生みやすいため、当然ながら戦乱をもたらすことになります。 稲作文化がある中国やインドでも同様の現象は発生していたのですが、日本の場合は特に顕著でした。日本は、山の多い地形で、川もほかの国に比べて多くの急流があります。 急流である分、灌漑の整備も大規模になりがちです。また、山が多いということは平地も少なく、農業に適した土地と、そうでない土地で差が出てしまいます。
そうすると、農業に適した土地を人々の間で奪い合う状況が発生するわけです。それが、日本の数々の騒乱につながった、と考えられます。そしてそんな日本において、宗教は必要不可欠なものだったと考えられます。 さて、そもそも昔から日本人の多くは、日本古来の考え方であり八百万の神を祀る「神道」と、ブッダを開祖として輪廻転生と解脱を説く宗教である「仏教」の2つを同時に信仰していました。 このような状況が発生したのは、6世紀のこと。大陸から伝えられた仏教の扱いをめぐり、当時の日本の有力者の意見は2つに分かれました。「仏教を広めるべきだ」という蘇我氏と、「広めるべきではない」という物部氏の対立です。