追悼。闘将・星野仙一氏の鉄拳と人情と再建手腕。「この男をつまみ出せ!」
「空気を変える。血を入れ替える」 中日時代には落合に象徴されるようなトレードを毎年、やった。中尾孝義と巨人の西本聖とのライバルチーム同士のトレードも常識破りだった。翌年、西本は最多勝、中尾も巨人で活躍した。 阪神時代には、20人以上も選手を入れ替えた。手抜き、個人主義、負け慣れのベテラン、不満分子を気嫌いして一掃した。逆に、その条件の対極にある選手を好み、金本和憲をFAでとり、故・伊良部秀輝をアメリカから凱旋させ、下柳剛を含む大型トレードもやった。 チーム再建に賭ける熱意で本社の金庫を開けさせた。 楽天時代も岩村明憲、松井稼頭央を凱旋させ、就任3年目となる2013年にもアンドリュー・ジョーンズ、ケーシー・マギー、斎藤隆という3人のメジャーリーガーを獲得するという大補強を打った。この年、悲願の日本一を果たすが、24連勝した田中将大や開幕投手を務めた則本昂大ら生え抜きの選手の活躍が目立った。 監督を退任後に球団副会長に就任してからも、その1年目にBクラスに終わると、得意の情報網を使ってFAで西武からエースの岸孝之を取った。昨季の楽天の優勝争い、クライマックスシリーズ進出の裏にも“星野GM”の手腕が見え隠れしていた。 強面だった。カメラのフラッシュが大嫌いで、いつのまにか試合後の囲み会見の写真を撮ることがNGとなった。たまに暗黙のルールを知らないカメラマンがきてパシャとシャッターを切ると、その瞬間に「やめや!」の一言で会見を打ち切った。試合に負けて頭に血が上ると、ぶらさがり取材の記者を「邪魔や」と突き飛ばした。 しかしメディアを大事にした。 「おまえらも戦力なんや」が口癖だった。 沖縄キャンプでは、記者を引き連れ、宿舎から球場まで1時間のウォーキング。雑談しながらのスキンシップだった。遠征先では“お茶会”が恒例になった。東京では、旧赤坂プリンスホテルの2階にあったコーヒーハウスで「星野スペシャル特製オムライス」をふるまい雑談に応じた。野球の話はあまりしなかった。日経新聞とニューズウィークやタイムズの日本語版を熟読して、政治経済だけでなく、時事ネタが豊富にあった。マスコミ懐柔との批判もあったが、星野さんは、そういう場で愚痴やぼやきの類は一切しなかった。“カリスマ星野”が“人間星野”の姿を見せることで記者との距離間が縮まり、オフレコとオンレコの線を引くと同時に、ありがちな「敵」と「味方」を作らず、メディアの発信力をうまく利用した。