追悼。闘将・星野仙一氏の鉄拳と人情と再建手腕。「この男をつまみ出せ!」
巨人には異常なまでの闘志を燃やした。ドラフトで巨人に1位指名を約束されていたが反故にされた裏切りが、その発端になっている。現役時代からGマークを見ると目の色を変えた。巨人から歴代6位タイとなる通算35勝を挙げたが、監督になっても打倒巨人の旗印は変わらなかった。1986年の監督就任直後に、ロッテで浮いた存在だった“3冠王”落合博満と、牛島和彦、上川誠二、平沼定晴、桑田茂との1対4の世紀のトレードを実現した。 一番の理由は、決まりかけていた落合の巨人入りを阻止することにあった。 「こだわったのは巨人に行かれたら困るからや」 巨人への怨念は2013年の日本シリーズの楽天の“巨倒劇”でやっと晴れることになる。 星野さんは繊細に気配りをする人情の人でもあった。 選手の奥さんの誕生日をマネージャーに調べさせ自宅に花を送る。活躍した選手には監督賞として罰金の倍額を返してやった。高価なロレックスもプレゼントした。裏方さんも大事にした。打たれた投手には必ずリベンジのチャンスを与えた。打てなかった打者もまた使った。 それが星野さんの勝負に徹しきれない“優しさ”だった。 引退した選手や退任するコーチの再就職先の面倒も見た。直接、相手チームのフロントや監督に電話をかけて「お願いできませんか」と頭を下げた。顔の効くメディアや世話になっているスポンサー企業にも紹介した。かつて「上司にしたい男ナンバーワン」に選ばれた“男・星野”の人望と愛される理由は、そこにあった。 親友の山本浩二が、侍ジャパンの代表監督になったときは、自らが監督時代にドラフト1位指名して育てた立浪和義のコーチ入りをお願いした。“悪い噂”が中日でのユニホーム復帰の障害になっていた立浪にジャパンのユニホームを着させてイメージを回復させてやりたいとの思いだった。 「弱いチームを強くすることが監督としてのロマンなんや」 低迷した中日を再建し、名将、野村克也を呼んでも最下位を抜け出せなかった阪神も2年で優勝させた。そして、球団創設以来、一度も優勝できなかった楽天を日本一にした。 「監督として俺はなんもしとらんよ。全部コーチがやってくれているだけや」 あれは甲子園での阪神-中日戦の試合前だった。 ビジターの監督室に入れてもらい、マッサージ中の星野監督と話をしていると、故・島野育夫コーチが部屋をノックした。島野コーチは、その日の打順を読み上げた。 「これでいいでしょうか」。星野監督は、うなずいただけだった。 故・島野コーチが監督室を去ると星野監督は言った。 「わかったやろ。なんもせんでええのよ。俺がやる仕事はここに来る前やから」 名参謀としてタッグを組んできた故・島野コーチを始めとした信頼すべきエキスパートが星野軍団には揃っていた。星野さんは、呼んだコーチを信頼して権限を与えた。すると、そこに責任が生まれる。 「俺の仕事はここに来る前にある」 “優勝請負人”“再建屋”と言われた星野さんの本当の手腕は、事実上のGMとしての仕事だった。