【インタビュー】坂 茂(建築家)「地震で建物が壊れるから人が亡くなる。被災者の居住環境の改善は建築家の役割」
「万博では紙と竹、炭素繊維を使って廃棄物が生じない建築を提案する」
──災害支援活動以外にも、印象的な建築を数多く手掛けています。 「国内で反響が大きかったのは、2015年に開館した大分県立美術館です。“街に開かれた縁側としての美術館”をコンセプトに設計しました。大分県の竹工芸のイメージを取り入れ、一面がガラスに覆われた外観によって街と美術館とがひとつにつながる──。日本の公共施設は税金を使った“閉じた箱”のように思われることが多いのですが、そのような印象を覆し、“愛されるハコモノ”を目指し、新たなコンセプトを打ち出しました。 日本と欧米を比べると、建築物に対する人々の意識の違いを感じます。例えば、私は2010年に開館したフランスの美術館ポンピドー・センター・メスを設計しました。中国伝統の竹編み帽子から着想を得た、木造の屋根が特徴的な美術館です。メス市の街を歩いていると、“我々の町に素晴らしい建物を作ってくれてありがとう”と道行く人から声をかけられます。フランス人は建築というものを“街の宝”として愛しています。 また、ラテン文化の国は特にそうなのですが、彼らには“建築家は建築のドクターである”という感覚があり、建築家はとても尊敬されています。日本でも建築家がそうした存在感を持てるよう、私自身も努力を続けているところです」 ──大阪・関西万博ではパビリオン「ブルーオーシャンドーム」を設計します。 「2000年のドイツ・ハノーバー万博の際、私は日本館の設計を担当しました。万博の日本館の設計をするのは、若い頃からの夢でした。そのときは環境問題という万博の最大のテーマを受け、基本となる構造材として『紙管』を用い、ほとんどの建材がリサイクルできる“紙の建築”を考えました。今回の『ブルーオーシャンドーム』では、『紙管』はもちろん、竹と炭素繊維を使い、廃棄物がさらに生じない建築を提案しています。炭素繊維は飛行機や車のボディに使われますが、建築物に用いられてきませんでした。大阪・関西万博は地盤の弱い埋立地が敷地ですが、軽い材料を活用し、本来は深く打たなければならない杭工事の必要をなくしました。万博が抱える近年の大きな課題は、この舞台が新しい提案の場ではなくなっていることでしょう。そのような問題意識から、万博らしい世界初の提案をしていくことを意識しました」 ──多忙な日々が続きます。 「普段から国内外を飛び回る日々が続いているので、ゆっくり休む時間はありません。唯一、自分だけの時間が持てるとしたら、飛行機での移動中。ワインを飲んだり読書をしたりして、楽しんでいますよ」 坂 茂(ばん・しげる) 昭和32年、東京生まれ。59年、米ニューヨークの名門大学クーパー・ユニオン建築学部を卒業。翌年、坂茂建築設計事務所を設立。平成7年には国連難民高等弁務官事務所コンサルタントを務めた。「紙の建築」など国内外で独創的な設計・建築を手掛けると同時に、災害支援プロジェクトを世界中で展開している。平成26年、「建築界のノーベル賞」と呼ばれるプリツカー建築賞を受賞。 ※この記事は『サライ』本誌2024年9月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。 (取材・文/稲泉 連 撮影/吉場正和 取材・写真協力/坂茂建築設計事務所)
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