【インタビュー】坂 茂(建築家)「地震で建物が壊れるから人が亡くなる。被災者の居住環境の改善は建築家の役割」
「『紙管』にも高い強度がある。木材を短期間で廃棄したくはない」
──なぜ、紙を建材にしたのでしょう。 「食品に使うラップの芯を想像するとわかりやすいですが、『紙管』にはもともと高い強度があります。簡単に防水もできますし、壁紙のように燃え難くもできます。私がそんな紙という材料を使った建築を発想したのは、1980年代にまで遡ります。ある展覧会に出展する際、木材を使った展示物を作る予算がなかったのです。それに、たとえ木で展示物を作れたとしても、展覧会が終われば壊され、廃棄しなければなりません。当時は環境問題など全く意識されませんでしたが、その頃から私は木材を短期間で廃棄してしまうことに強い抵抗があった。そんなとき、ファックスのロール紙やスケッチに使うトレーシングペーパー(図面や下絵を引き写す透写紙)の芯を見て、身の回りのこうした紙の材料を使い、建築を作りたいと思い始めたのです」 ──阪神・淡路大震災では、「紙の教会」や「紙管」を使ったログハウスを建設しました。 「阪神・淡路大震災が起きたのは1995年。ルワンダを訪れてから1年足らずの時期です。難民支援に関心を持っていた私は、被害の大きかった神戸市長田区の教会にベトナム人の難民が集まっていると知り、何か手伝えることがあるのではないか、と現地に入りました。“キリスト像だけ燃え残った教会”として注目されていた教会の周囲は、焼け野原になっていました。焼け跡では様々な国籍の人たちが、焚火を囲んでミサを行なっていました。そんな人たちが集まれるコミュニティホールを紙で作ってはどうか。神父さんにそう提案し、建設費とボランティアを自ら集めて、『紙の教会』を作ったのです。 他方、外国籍の被災者たちは近隣の公園に“テント村”を無断で作り、避難生活を送っていました。しかし、住民から不安の声が寄せられ、行政側は公園からの立ち退きを迫ろうとしていました。そこで、彼らの新たな住まいとして“紙のログハウス”の建設を提案しました。住む場所がない人を追い出す前に、衛生的で見た目のきれいな仮設住宅を供給する必要があった。基本理念は、安価で断熱性があり、建築の知識がない学生ボランティアでも簡単に組み立てられ、景観的にも美しい住宅です。一連の活動の経緯は国内外で報道され、1999年のトルコ北西部地震、2001年のインド西部地震などでも現地の材料を活かした紙のログハウスが建設されていくことにつながりました」 ──「紙の間仕切りシステム」は、多くの避難所で使われるようになりました。 「始まりは新潟県中越地震(平成16年)でした。しかし、当時は役所が新しい試みを歓迎せず、子どもの遊び場やお年寄りの診察所として使われたのみ。その後、翌年の福岡県西方沖地震で施工実験を行ない、システムを改良しました。緊急時でも安く簡単に入手できる『紙管』をフレームとして使用し、周囲を布のカーテンで覆って目隠しにしたのです。このシステムは6畳間や8畳間など、家族ごとに必要なサイズに変更できます。組み立ても学生ボランティアたちの手で30分もあればできる。近年は避難所でのプライバシー確保という課題が浸透し始め、平時からこのシステムを備蓄する自治体も増えました」 ──建築家を志したきっかけは。 「子どもの頃からモノを作るのが好きでした。学校の技術家庭の授業で住宅の模型を作ると、誰よりも褒められた。高校時代はラグビーとデッサンに夢中でしたが、建築家の磯崎新さんが手掛けた群馬県立近代美術館を見て感動し、将来は磯崎さんの事務所で働きたいと思うようになりました。その後、アメリカの学校に進んで建築を学び始めたのですが、著名な建築家ジョン・ヘイダックの作品を見て、建築に対するそれまでのイメージが覆されました。そこで、彼が教壇に立つニューヨークのクーパー・ユニオンに進みました」 ──アメリカではどのようなことを。 「アメリカの建築教育の特徴は、“プレゼンテーション”に多くの時間を費やす点にあります。日本のように“センスがいいね”などと感覚的な評価に終始せず、“なぜこの曲線なのか”“なぜこの形を選んだのか”と、設計した建築を論理的に説明し、ひとつひとつを意味づける姿勢を徹底的に教え込まれます。アメリカ人に負けたくなかったので、必死に勉強する日々を過ごしました。この間に、1年間休学して、磯崎さんの事務所でも働きました。そうこうして大学を卒業し、翌年には自分の設計事務所を立ち上げました」
【関連記事】
- 【インタビュー】野村深山(檜三味線製作、演奏者)「日本の木の音色に信念を持って2000挺の檜三味線を送り出しました」
- 【インタビュー】松本明慶(仏師・78歳)「人の心の中には仏と鬼が住んでいる。自分を誤魔化さず、鬼の如く専心したい」
- 【インタビュー】脇屋友詞(中国料理シェフ・66歳)「時代とともにお客さんの嗜好は変わる。柔軟に思考しながら進化し続けたい」
- 【インタビュー】柴崎春通(画家、YouTuber・76歳)「絵を描く時間は常に特別で新鮮なもの。それが“選択と決断の連続”だからです」
- 【インタビュー】広田尚敬(鉄道写真家・88歳)「流行り廃りではなく、若い人たちは自分がいいと思った瞬間を撮ってほしい」