「気楽な記事がたくさんあって楽しいのに」今や夕刊が読めるのは都市部だけ…新聞の夕刊がなくなる日
「変わったのは20年ほど前。 3面を使って読み物的な記事を載せるようになりました。部数の減少もあり、朝刊とは別の形で夕刊独自の魅力を打ち出そうとしたわけです」 ここから夕刊の試行錯誤が始まる。読み物を充実させて性格づけをするといっても、事件は朝刊に合わせて起こるわけではない。 「その辺がなかなか難しく、A紙が夕刊のトップで扱っているニュースをB紙はほとんど触れていないとか、そんなちぐはぐした状況が今も続いています。 後輩たちは、ニュースの扱い方に悩みながら夕刊をつくっているんだろうと思います」 高尾さんが毎日新聞に入社した1969年当時からつい最近まで、夕刊に掲載したニュースを翌日の朝刊に再度載せるというのは、作り手のプライドにかかわることだった。けれど今は多少手を加え、朝刊にも載せるのが一般的に。 夕刊が廃止された地域に住む人のためにも、朝刊だけを読めば全体のニュースがわかる構造にせざるを得ないからだ。 ◆「いちばんの財産である取材記者も減らさなければならず……」 そもそもなぜ、都市部のみに夕刊が配られるようになったのか。 そこには新聞社の苦渋の決断があった。その地域で出ている部数に対し、赤字を見越してセットで配るだけの体力が、新聞社にはもうないのだ。 「新聞社全体の収入は大幅に減っています。不動産の収入を販売などの赤字に当て、かろうじて経営を維持している状態です」 わかりやすいところでいえば、有楽町マリオンは元々朝日新聞の本社だったわけで、朝日はそれで賃貸料を得ている。 毎日も含め、どの新聞社も経営は厳しい。となると配達エリアの縮小に加え、いちばんの財産である取材記者も減らさなければならず、人がいなければ取材網も縮小せざるを得ないという負のループに陥っている。 例えば東北地方の県版などは、かつては県ごとにたくさんのニュースが載っていたが、今は少ない人数で東北3県共通の紙面を作成。地元の細かなニュースが掲載されなくなり、不満を感じている読者もいるだろう。 「我々の頃は社会部に“泊まり勤務”というのがあって、常に5~6人は社で待機し、何かあれば飛び出して行きましたが、今はそういう取材体制はとれず、人数をかけずに取材をしています」 ネットの登場で報道のシステム自体も大きく変化した。