イヤイヤ始めたバスケに、人生を2度救われた――いじめられっ子からの覚醒、副島淳とバスケットボール
2m近い身長に、黒い肌とふわふわのアフロヘアーが印象的で、流暢に話す日本語は見た目とのギャップが大きい。NHK「あさイチ」やTBS「ひるおび」のレポーターなどでお馴染みの副島淳(39)。日本人の母とアフリカ系アメリカ人の父との間に生まれたミックスルーツであることを生かし、現在タレントや俳優として活躍する。生まれは東京都大田区蒲田、育ちは千葉県浦安市と中身は完全なる日本人。だが、いまでこそ誇れる自身のルーツやその外見に、苦しんだ日々もあった。そんな副島はこれまでに2度バスケットボールに救われ、「人生が180度変わった」と話す。(取材・文:栗原正夫/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
肌の色や髪質をバカにされ、ときには乱暴な暴力を受けた幼少期
中学入学時、元々は嫌々ながら始めたバスケに、まさか人生で2度も救われるとは副島も思っていなかったことだろう。 副島はこれまでも様々なメディアで、自身が幼少期にミックスルーツであることでの外見の違いなどを理由にイジメを受けてきたと語っており、そのピークは小学4年の頃だった。一度は自ら死を選ぶ寸前のところまでいった。 「僕が小さい頃は、まだミックスルーツの人が少なかったですからね。当時から縮れ毛で、そんな同級生は一人もいなかったので次第に肌の色や髪質をバカにされ、ときには乱暴な暴力を受けたり……。一度はエレベーターで当時住んでいた団地の屋上まで上がり、地面を覗き込んだこともありました。ただ、それ以上のエネルギーはありませんでした。下を見れば怖いし、肌寒さを感じたことを覚えていますが、そんなことを感じている時点で、どこか本気ではなかったのかもしれません」
消去法だったバスケ部との出会いが副島少年を救う
イジメは小学6年になっても続いたが、周りの同級生たちと同じ地元の中学に進学するしかなかった。本当はバスケ部に入るつもりはなかった。ただ、サッカー部にはイジメの加害者ともいえた苦手な子たちが多く、野球部にも上級生に怖い先輩がいたことを理由に、消去法でバスケ部に入ることにした。このバスケとの出会いで、次第に周囲にも認められ、もともと明るかった自分自身を取り戻せたと話す。これがバスケに救われた1回目だ。 「バスケ部は先輩も優しくて、顧問の先生も全然厳しくなかったんです。試合に負けても、みんなヘラヘラしていて『また負けちゃったね』みたいな(笑)。向上心などはまったくなく、楽しく緩い雰囲気そのものでした。ただ2年になるときに、他校からバスケの顧問として落合(幸一郎)先生が赴任してくると、すべてが変わりました」