イヤイヤ始めたバスケに、人生を2度救われた――いじめられっ子からの覚醒、副島淳とバスケットボール
落合はバスケに熱心な指導者として知られていた。練習は突如厳しくなり、当初はその辛さに何度もバスケ部を退部しようと思った。だが、中学時代に身長が約30センチ伸びるなど周りの生徒よりも頭一つ分背が高かった副島は中心選手に据えられ、やめたくてもやめられない環境に追い込まれた。そして、弱小だったチームはどんどんと好結果を残すようになり、副島もチーム一の得点源として活躍した。 「結果的に県選抜にも選ばれ、バスケで周囲に認められたことで、自分が周囲のみんなと違うことも自虐的な笑いに変えられるようになったり、自分自身の性格や人間性が形成されていった気がします。当初は高校も大学も行くつもりがなかったのに、バスケの推薦で進学できることになり、高校時代はウインターカップなどの全国大会にも出場できました。落合先生と出会えたのは本当にラッキーでしたし、本当にバスケが人生を変えてくれました。ただ、いま振り返ると中1の入部前から落合先生がいて練習が厳しいことがわかっていたら、絶対にバスケ部には入っていなかったと思いますけどね(笑)」
日本を出たことがなく、英語が話せなければ、ダンスも苦手だった
いまでは、そのキャラクターを存分に生かして、お茶の間の人気者となったが、当初から芸能活動に興味があったわけではない。高校、大学とバスケを続けてきたが、それ以上バスケを続けるつもりもなく、大学4年になった頃には就職活動を始めていた。 ‟割のいい仕事”に出会ったのは、そんな頃だった。 「大学のコーチの知り合いだった映画制作会社の人が、バスケのできる“外国人”を探していて。コーチから僕のところに映画出演の仕事の話が来たんです。セリフは多くはなかったですが、主人公と3on3(3人制バスケットボール)で対決する大事な役どころ。撮影期間は1週間ほどで、学生時代にコンビニや居酒屋でバイトをしていた自分にしたら『いったい何時間働けば、こんなにもらえるの?』ってくらいギャラもよかったんです(笑)。そして撮影中にスタッフの方に食事や飲み会に連れていっていただき、『副島くん、面白いね。こっちの世界でやってみれば?』などと声をかけてもらって。それが芸能界に興味を持つキッカケになり、いまの仕事につながったわけです。だから、バスケに人生2度救われたというのは大袈裟ではないんです」 ただ、人生はそう簡単ではない。芝居に興味を持ち何度もオーディションに足を運ぶも、ハマらない日々が続く。ブラックルーツということで、ステレオタイプに「英語は話せますか?」「ダンスは踊れますか?」と聞かれるも、副島はそもそも日本を出たことがなく、英語が話せなければ、ダンスも苦手だった。