「ハワイで水着になりたくて…」体重90キロ看護師がダイエット目的で始めたボクシングで人生激変…アマ日本代表→30歳でプロボクサー転身
「最大時は体重90kgくらいあったかも」
日本人の父とタヒチ人の母の間に生まれ、埼玉県狭山市で生まれ育った。小学校時代から熱を入れてきたのはバスケットボール。クラスで一番上背は高く、パワーも男子勝り。高い身体能力はゴール下で存分に生かしてきた。中学校、高校も体育館のコートを走り回り、看護学校に進んでからも格闘技とは無縁。初めてボクシンググローブをつけたのは、看護師で3年目を迎えた25歳のときだった。きっかけはダイエットである。友人たちと計画したハワイ旅行で、少しでもスマートな体型で水着を着たかったのだ。当時の姿を思い浮かべると、思わず苦笑を漏らす。 「高校時代の体重は62kgだったのに86kgまで増えていたんです。そのあとは体重計で確認していませんが、最大時は90kgくらいあったかもしれません。3桁いく才能はあると思いますよ。あの頃は運動もしないで、食べすぎていましたね」 太りやすい体質ではあったが、ボクササイズの効果はてきめん。2カ月で6kgほどの減量に成功する。172cm、80kgとボリュームを少しダウンさせ、水着で太平洋のリゾートを満喫してきた。 当初の目的は果たし、もうアマチュアのボクシングジムに通う必要はなかったものの、足が遠のくことはなかった。看護師の仕事を終えた後、ジムでミットを持つトレーナーに追い込んでもらうボクシングの練習は性に合っていた。 しばらくして、ジムの会長に勧められたスパーリング大会に出場すると、次はリングで拳を交える楽しさを覚えた。思った以上にアマチュア経験者と渡り合え、手応えをつかんだ。すっかり引き締まった体型になっていた翌年の26歳からは本格的に競技に取り組み、ボクシング歴1年足らずで2019年の全日本女子選手権を制覇。瞬く間に日本代表に選ばれた。女子中量級の層が薄いことを差し引いても、トントン拍子に進んでいた。
東京五輪の開会式に登場
2021年の夏には東京五輪の開会式に出演し、一躍注目を浴びる。白いトレーニングウエアに身を包んで登場し、黙々とランニングマシンで走っていた女性を覚えている人もいるのではないか。コロナ禍の影響で東京五輪の出場権を懸けた世界最終予選が中止となり、ラストチャンスの場を失った悲運のボクサー。パンデミックのさなかに看護師だったこともあり、より話題を集めた。 『看護師ボクサー』として知名度が上がり、メリットもあった。アマチュアトップレベルのコーチに目をかけてもらい、指導を受ける機会も得た。ただ、プレッシャーも感じていたのだ。 2021年秋からはパリ五輪を目指し、再スタートを切る。東京五輪前からボクシングに注力するため、総合病院からクリニックに転職し、勤務形態は常勤から非常勤へ。以前にも増して練習に打ち込んだ。 「ボクシングに多くの時間を割くようになったのですが、なかなか結果を残せなくて。負けるたびに課題を見つけて、取り組んでいたんですけどね。アマ時代のウェルター級(66kg以下)は国内にほとんど選手がいなかったこともあり、日本代表としてすぐに国際大会に派遣され、そこでほとんど勝ち星を挙げられなかったんです」 快活に話す津端も当時のことを思い返すと、言葉を詰まらせる。少し間を置いてから、静かに口を開いた。 「ボクシングを楽しくできているようで、できていなかったんです。身体的な疲労よりも精神的な疲れがありました」 壁にぶつかりつつ迎えた2023年11月の全日本選手権女子ウェルター級(66kg以下)決勝。パリ五輪予選日本代表の座を懸けた大一番である。墨田区総合体育館のリングで最終3ラウンドまで一歩も引かずに激しく打ち合ったものの、津端の手が上がることはなかった。東京大会に続き、五輪出場の夢が途絶え、さすがに意欲とともに自信も低下した。 「正直、引退を考えました。選手はもういいかなって。やり切ったというよりも、勝てなかったので」 一度グローブを吊るし、ボクシングから心も離れた。体重管理を気にせず、ポップコーンを食べながら好きなマーベル作品を鑑賞し、またある日は温泉に浸かってのんびり過ごした。自由気ままに生活していたが、これからの人生も考えた。 「何をしようかなって。自分自身、やりたいことがあやふやで。転職情報をチェックし、常勤の看護師として勤め直すことも考えましたし、パーソナルトレーナーの誘いもありました。でも、どれもしっくりこなくて」 新しい人生の方向が定まらず、将来について考えを巡らせているときだった。地元狭山市のボクシング関係者から思わぬ言葉を掛けられた。 「プロでやってみないか?」 津端の頭にはなかった選択肢だった。不思議なものである。2カ月間、ボクシングの練習を休んでいると、心の奥にしまい込んだグローブが恋しくなっていた。 「またやりたいな、と思いました。ボクシングで何かをやり遂げたいって」 節目の30歳。津端は再び拳で大きな夢を追い始めることになる――。 〈つづき→第2回を読む〉
(「ボクシングPRESS」杉園昌之 = 文)
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