アーティスト目指す人たちのサバイバル 歌手LUNAあきらめない原動力は
いかなる職業でも生き抜くことが困難な世の中にあって、アーティストとして生きる道を選んだ人は果たしてどのようにサバイバルしているのでしょうか。また、どのように夢を追いかけているのでしょうか。今回は北海道出身で現在は東京を拠点に活動を続ける歌手LUNAさんを取材しました。25歳になるLUNAさんはケンコー・トキナー社の写真関連のワークショップで専属モデルとして仕事をしつつ、SNSを通しての配信なども駆使して歌を歌い続けています。その【原動力】となっているのはどんな思いなのでしょうか。
音痴と言われた少女の頃 負けず嫌いが発動
LUNAさんは1997年8月、北海道は小樽市の出身。中学生の頃から歌手になりたいと思ってオーディションを受けていたと言います。実はその前は音痴と言われていて、負けず嫌いな性格が「歌を歌いたい」という情熱へ転換されていったと話します。 「男勝りで活発な少女でしたが幼稚園の頃から家でエレクトーンの練習はしていました。両親とも歌うことが好きで、2人が歌っていたJ-POPを一緒に聴いて育ちました。母は工藤静香さんや倖田來未さんの曲をよく歌い、私もaikoさんはじめ女性アーティスト中心に歌いましたが、友達から『音痴だから人前では歌わないで』って言われていたんです(笑)」 負けず嫌いなLUNAさんは、音痴から脱出するためにまずはたくさん音楽を聴いたそうです。リズム感がないことに気づくと、リズムの取り方や声の出し方を勉強し始めました。そうこうするうちに中学のとき最初の転機が訪れます。 「飛び入り参加したイベントで、初めて人前で歌ったんです。加藤ミリヤさんの『Love is...』です。せつなく一途なラブソングですが、お客様に年配の女性がいて『なんて素敵なの』と泣いていたんです。その方は亡くなった旦那さんを愛し続けていて『心にすごく響いた』って。その時、音楽が自分の生きる道だって思いました」
アルバイトでお金を貯めて東京へ 音楽活動を開始
高校では部活でバンドをやりつつボーカリストのオーディションを受け始めたそうです。 「オーディションで出会った方の中に私を評価してくださった方がいて、音楽の先生も紹介してくださったんです。高校生になると音楽活動をするため東京に行く気持ちを固めて、高2で卒業認定試験を受け、飲食店のアルバイトでお金を貯めました。親に迷惑かけて東京に出るというやり方はしたくなかったし、そこで甘えたら音楽活動に入って行く覚悟も出来ない気がしたんです」 卒業した18歳のとき東京へ転居。費用も自力で貯め、高3のときオーディションで東京に通っていたので音楽事務所につてが出来、所属をした上での転居だったので親も認めてくれたそうです。しかしながらその事務所では自分が目指す活動は出来ないことがわかり、退所。そこからLUNAさんにとって本当のサバイバルが始まったのです。 「表現力を培いながら生活をするためにモデルをするようになったんです。写真の中の登場人物になって、その気持ちを表現したいと思って撮影に臨んでいます。一方で歌もすごく繊細でしっかり気持ちを伝えたいなと思っているので、共通する面があるようにも感じています」 今は撮影会のほか写真用品など光学製品で知られるケンコー・トキナーのポートレートのワークショップで専属モデルを務めるなどしています。負けず嫌いの性格が何事にも起点となっているようです。