昔の健康保険証に「無料(ただ)」と書かれていたワケ
公的医療保険の資格を証明する「健康保険証」は役目を終え「マイナ保険証」に一本化された。『医療費の裏ワザと落とし穴』289回では、健康保険法が施行された1927年にさかのぼり、元祖・健康保険証はどのようなものだったかを見てみる。(フリーライター 早川幸子) ● 健康保険法施行とともに 1927年に誕生した健康保険証 2024年12月2日から、公的医療保険の資格確認方法が、原則的に「マイナ保険証」に一本化された。 今後、健康保険証は新規発行されなくなり、マイナ保険証の利用登録を行っていない人には「資格確認書」が交付される。手元にある健康保険証は有効期限がくるまでは最長1年間利用できるが、その後はマイナ保険証か資格確認書のどちらかを利用して医療を受けることになる。 1927(昭和2)年に健康保険法が施行されてから、97年もの間、公的医療保険の資格を証明するものとして制度に伴走してきた健康保険証は、今回の改正でその役目を終えることになった。この区切りに、制度開始当時の健康保険証がどんなものだったのか確認しておきたい。 1922(大正11)年3月25日、健康保険法が成立し、日本初の社会保険が誕生した。健康保険は、工場や炭鉱などで働く労働者を対象とした公的な医療保険で、当初は1924(大正13)年4月に施行されるはずだった。ところが、1923(大正12)年9月1日に起きた関東大震災によって、具体的なルールづくりをするための審議が中断され、施行も凍結されることになったのだ。 審議が再開したのは、震災から2年半たった1926(大正15)年3月で、施行時期は翌1927(昭和2)年1月と決められた。そして、実施に向けて施行令や施行規則がつくられ、急ピッチで準備が進められていった。 保険事務を行うための内務省の直轄機関として、全国50カ所に「健康保険署」が設置されたほか、診療を担当する医療者団体との交渉が行われるなど、健康保険を運営するためのルールづくりが行われていった。そのなかで、生まれてきたのが健康保険の資格確認の問題だ。