昔の健康保険証に「無料(ただ)」と書かれていたワケ
まず、注意事項の1番目で「被保険者証は健康保険の資格確認を行うための証明書である」という目的が記され、2~3番目で健康保険の給付内容が説明されている。さらに、資格喪失した場合の手続き、不正利用した場合の罰則なども記載されており、健康保険を利用する際の注意点が説明されている。 興味深いのは、書かれている文章のほぼすべてに読み仮名がふられている点だ。ルビのふり方は画一的なものではなく、「疾病」を「びょうき」、「無料」を「ただ」など、庶民にも分かりやすい表現に置き換えられている。 また、8番目では第一面に書く自筆のサインについても、自分で書けない人は他人に書いてもらうように促している。こうした注意事項が記載されていたのは、適用対象の労働者に漢字の読み書きができない人が相当数含まれていたからだろう。 そもそも健康保険は、炭鉱や工場などで働く労働者の福祉を向上させ、彼らの生活を安定させることで、当時頻発していた労働争議を減らし、労使協調によって殖産興業を発展させることを目的につくられたものだ。当時、健康保険がつくられた社会的な背景が、健康保険証の様式にも表れていたのだ。 ● マイナ保険証の導入によって よりよい制度への転換を 1927(昭和2)年1月1日、健康保険法が施行され、病院や診療所で健康保険証を見せると、健康保険に加入している労働者たちは無料で医療を受けられるようになった。『健康保険事業年報』(昭和11年度)によると、施行初年度の政府管掌健康保険の給付実績は、療養の給付(医療給付)が約273万件で、合計給付額は約942万円となっている。 現代の日本では、あるのが当たり前の健康保険だが、はじめて健康保険証を手にし、無料で医療を受けられるようになった彼らの喜びはいかばかりだったろうか。 健康保険の発足とともにつくられたA5サイズの健康保険証は、被扶養者制度の導入などによって小幅な修正が加えられたが、戦後もそのスタイルは踏襲されてきた。大きなモデルチェンジがあったのは2000年前後で、それまでは世帯単位で発行されていたものが、生活様式の変化に合わせて個人ごとに1枚ずつ発行されることになったのだ。大きさも名刺サイズのカードタイプに切り替えられ、現在に至っている。 そして、DX化の推進によって医療現場の業務効率を引き上げていくために、24年12月2日からら原則的にマイナ保険証に一本化されることになった。今後、新しい健康保険証が発行されることはない。 健康保険証は、その97年の歴史に幕を下ろすことになったが、公的医療保険制度そのものは、この国で暮らす人々にとってなくてはならない制度だ。マイナ保険証の導入によって、日本の医療制度がよりよいものに生まれ変わり、世界に誇る国民皆保険制度が未来永劫続いていくことを願いたい。
早川幸子