日本最高齢88歳のジャズ・シンガー齋藤悌子「夫を亡くし、音楽から離れて15年。喫茶店でジャスを聞いて自然に体が動き『あぁ。また歌わなきゃ』と」
「ダニー・ボーイ」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「テネシーワルツ」……。ジャズの名曲をおさめたアルバムが発売されるや、その歌声に魅了される人が続出し、コンサートは満員となる。齋藤悌子さん、88歳。日本最高齢のジャズ・シンガーだ。彼女の人生の物語を聞いた(構成:篠藤ゆり 撮影:木村直軌) 【写真】娘の営むカフェレストランでジャズを演奏する悌子さん夫妻 * * * * * * * ◆故郷・沖縄を遠く離れて 毎日のように顔を合わせていたバンドマスターは、仕事では厳しかったですが、ラブレターをたくさん送ってくれました。25歳の時、彼と結婚することに。彼は千葉の出身でしたので、内地から親御さんや身内の方が来てくれました。 それから4、5年経ち、夫の実家から「そろそろ帰ってきてくれないか」と連絡があり、千葉に引っ越すことになります。私にしてみれば、生まれて初めて沖縄を出て、本土に渡るわけです。 夫もそんな私を気遣ってくれたんでしょうね。まず鹿児島に船で渡り、そこでスポーツカーを買って、本土縦断の旅を始めました。見るものすべてが沖縄と違うので、珍しくてずっとキョロキョロ。 でも、関東地方が近づくにつれて、私は無口になっていきました。千葉では舅姑、小姑2人と同居。歌以外何もできない女に《嫁》が務まるだろうかと、不安になったんです。
ある日、夫が「次の宿を最後にしよう。早起きして、そのまま千葉に行くよ」。夜、宿に着いてすぐ休み、翌朝起きたら、夫が「いい天気だ。来てごらん、テイコ」と、カーテンをバーッと開けた。 そうしたら目の前に、大きな大きな富士山が……。もう、びっくり! 夫は私が驚く姿が見たくて、その部屋を選んでくれたんですね。それも彼のやさしさです。 千葉に着いたら、「現実」が待っていました。それまでぬか漬けなんてしたことないのに、毎日、混ぜさせられるし(笑)。やがて長男、長女が誕生。子どもが小さいうちは、音楽から遠ざかっていました。 ギタリストの夫は、千葉のクラブやホテルなどを回って仕事をしていました。でもやっぱりボーカルが必要だから、また歌わないか、と。姑に相談したら、「子どもたちは見ているから、おやんなさい」。普通、「子どもが小さいのに夜の仕事なんて、とんでもない」と言いそうなものですよね。でも、許してくれた。本当にありがたかったです。 子どもたちが小学生になると、敷地内のアパートに住んでいた千葉大学の女子学生が、夜、子どもたちを見てくれました。まわりのみんなに支えてもらって、歌を続けることができたのです。
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