日本最高齢88歳のジャズ・シンガー齋藤悌子「夫を亡くし、音楽から離れて15年。喫茶店でジャスを聞いて自然に体が動き『あぁ。また歌わなきゃ』と」
◆止まっていた時計が動き出した 私たちの仕事は夜も遅いし、夫は子どもたちと接する時間が少ないのが寂しかったんでしょうね。夏は毎年1ヵ月間、子ども2人を連れて石垣島へ行き、自給自足のキャンプ生活を送っていました。 石垣島に魅せられた娘は、21歳の時に車に荷物を積んでポンと移住し、1年後にカフェレストランをオープン。私たち夫婦も両親を見送った後、石垣島に移住することにしました。そして毎週水曜日の夜、娘の店でライブをするようになったんです。 それから5年くらい経った頃、夫の体調が悪くなり――那覇の病院に入院し、末期の肝臓がんだとわかりました。若い頃に鼻の手術をした際、輸血によってB型肝炎ウイルスのキャリアになっていたようです。 医師からの電話で、「石垣にお帰りになるんだったら急がないと、飛行機に乗れなくなりますよ」と言われ、すぐに迎えに行きました。島内の病院に入院したものの、あっという間に逝ってしまった。私が59歳の時です。 それ以来、私は音楽を一切、受けつけなくなりました。ラジオから音楽が聞こえてきただけで、夫を思い出してつらくなり、スイッチを切ってしまう。まさに火が消えたような日々を送っていました。
そんな生活が15年くらい続いたある日、買い物先で喫茶店に入ってコーヒーを飲んでいたら、BGMでジャズがかかったんです。フルバンドで、本当に素敵なスウィング・ナンバー。 聞いているうちに自然に体が動いて、「あぁ。また歌わなきゃ」と天啓を受けたような気持ちになって。それからは夢中でしたね。歌える場を見つけては、歌うようになりました。 そうこうしているうちに、思いがけず、レコーディングをしないか、という話をいただいたんです。それが2年前。石垣島に「すけあくろ」という日本最南端のジャズ・バーがあって、世界中からいろいろなジャズ・ミュージシャンが訪れます。そこのオーナーでコントラバス奏者でもある方が、動いてくださったんです。 そしてなんと、世界的なジャズ・ピアニストのデビッド・マシューズさんがピアノを弾いてくれることに。録音は「すけあくろ」で、いつものライブみたいな雰囲気だったので、緊張しませんでした。 デビッドさんは当時80歳、私は86歳。このアルバムが、雑誌『ジャズ批評』の「ジャズオーディオディスク大賞2022」特別賞を受賞。また、琉球放送のラジオ番組『ダニー・ボーイ~齋藤悌子、ジャズと生きる~』が、ギャラクシー賞ラジオ部門大賞に選ばれました。 さらに『徹子の部屋』からも声がかかって。徹子さんとお話しできるなんて思いもしませんから、夢のような時間でしたねえ。
【関連記事】
- 88歳、日本最高齢のジャズ・シンガー齋藤悌子「18歳で沖縄の米軍キャンプでジャスを歌ってから70年。86歳で初アルバムをリリース」
- 戦前戦後、音楽業界に深く関わった伝説のジャズ・ピアニスト松谷穣。キャンディーズ、山口百恵の指導も手掛けた
- 平原綾香さんが『徹子の部屋』に出演。父・平原まことさんとの思い出を語る「子どもたちの平和を祈る気持ちは、亡き父から受け継いで」
- 『ブギウギ』ヒロインのモデル 笠置シヅ子――複雑な出自、叶わぬ恋、未婚の母…その愛と涙の人生とは【編集部セレクション】
- 和田アキ子さんが『徹子の部屋』に登場 「デビュー当時はいじめを受けた日もあった。願いが一つ叶うなら、両親にありがとうと伝えたい」