生きやすさを感じて生きてたら、絵は描いていない。「顔のない肖像」を映し出す榎本マリコの視点
自身初となる作品集『空と花とメランコリー』が2023年11月に上梓され、12月には個展『Melancholia』を開催するなど、目覚ましい活躍を見せるアーティスト、榎本マリコ。2018年に『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著・筑摩書房)の装画で一躍脚光を浴びて以来、これまでにも数多くの書籍の装画を手がけてきた。 【画像】榎本マリコが語る、顔のない肖像画を描くようになった理由 榎本の作品で描かれる人物には顔がない。その代わりに、コラージュされたように動植物が美しく配置され、背景には荒涼とした風景や、いつか見たことのある表情の空が描かれている。それは夢の中で組み立てられるイメージのようであり、見ていると漠とした感情や記憶が掘り返され、溢れ出してくる。まるで奥底に隠されていた自分自身を映し出す鏡のように。 こうした作品は、どのようにして生み出されてきたのか。都内にある榎本のアトリエを訪れ、「特別な日常を過ごしているわけではない」と語る彼女が持つ、視点のありかを探った。
描かざるを得ない気持ちが、本の内容とリンクする。装画作品の生まれかた
―昨年の『空と花とメランコリー』の出版に伴い、書店では榎本さんがこれまでに装画を手がけた書籍を集めた棚を見かけることも増え、アーティストとしての注目が集まっていることを感じます。ご自身にとって、転機となった作品はありますか? 榎本:やはり、2018年に日本で出版された『82年生まれ、キム・ジヨン』でしょうか。その当時はまだまだ駆け出し中で、出版社などに手当たり次第にポートフォリオをメールで送るという地道な営業活動を続けていました。そんなときに声をかけてくださったのが、ブックデザイナーの名久井直子さんでした。 作品を最初に読ませていただいたときは、本当に衝撃というか、ズドーンと心に響いてきて。あまりにも当たり前になりすぎて、気づきもしないでいた女性の生きづらさを言語化してくれたというか。「こんな苦しかったんだ、私」と気づかされ、同時に「それでいいんだよ、それで間違ってないよ」と言ってくれているような本だなと思いました。 榎本:装画は描き下ろしではなく、これまでに描いた作品の中から選んでいただきました。名久井さんがあの荒涼とした景色と顔がない絵に、「自分の顔すら見えなくなってしまうぐらい、自分という存在がない」という解釈を与えてくださったことで、私自身も「そうか、そういう捉え方ができるのか」と驚きを感じて。 私も、生きやすいと思って生きていたら絵は描いていなかったと思うので、きっと私自身の描かざるを得ない気持ちが、リンクしたのかなと思っています。 ―その後も数多くの書籍の装画を手がけ、いまや出版界になくてはならない存在となっています。実際にこのアトリエにも、『覚醒せよセイレーン』や『九月と七月の姉妹』の原画がありますね。 榎本:本の装画を描くことは一つの目標でもあったので、箸にも棒にもかからない時期は長かったですが、ブレずに描いてきて良かったなと思ってます。 装画の作品は『82年生まれ、キム・ジヨン』のように、すでに完成している作品からデザイナーさんに選んでいただくこともあれば、作品のゲラを読んでラフを出し、擦り合わせながら描いていくこともあります。ここにある『覚醒せよセイレーン』や『九月と七月の姉妹』のほか、『法廷遊戯』『家庭用安心坑夫』も描き下ろしですね。 ―榎本さんの装画に惹き寄せられ、書籍を手に取った経験がある人も少なくないと思います。榎本さんにとって、装画はどのような存在だと捉えていますか? 榎本:読み手にとっては、トリガーじゃないけれど、何かしらの引っ掛かりみたいなものを与えるものだと思っていますね。描き手としては、すでにある作品から選ばれる場合はその絵が持つイメージや纏っている空気感、世界観が、本の物語と寄り添い合っていけるものを第三者の視点から選んでいただける。そこから新しい化学反応が生まれることに面白さを感じています。一方で描き下ろしは、そのストーリーの方にピッタリと寄り添った絵が描けるので、それはそれで面白いです。