生きやすさを感じて生きてたら、絵は描いていない。「顔のない肖像」を映し出す榎本マリコの視点
潜在的な意識をアウトプットする。原風景となった日常の空とニューメキシコ
―『82年生まれ、キム・ジヨン』の装画をはじめ、いくつかの作品には、日本の風景とは思えない景色が描かれています。これはどの場所をモチーフにされているのでしょうか? 榎本:『キム・ジヨン』の装画のモチーフは、アメリカ合衆国にあるニューメキシコ州ゴーストランチの風景です。観光で3か月ほどアメリカを旅行することになり、友人から「お化けのいる場所がある」と教えてもらったのがきっかけでした。 しかも、調べてみると、以前から大好きだった画家ジョージア・オキーフのアトリエがあるというので、合わせていくことにしたんです。実際にその場へ行ってみると、本当に圧倒されて。気づけば自分の心の故郷みたいな場所になっていったんです。その後も他の友人を「すごい場所だから行こうよ」と誘って、2度ほど訪れましたね。 何もない場所なので、滞在中はただただ景色を見ていました。サボテンがあって、コーラルピンクの土みたいな赤茶色の土と、黄色っぽいクリームイエローみたいな土がある。聴こえるのは、風と鳥の声だけ。そうして見ていると、お母さんのお腹の中から太陽を見ているような感覚があって。本当に何にもないんですけど、このなんにもない景色を見ながら、オキーフはこんなに生命力の強い絵を描いたのかと思って過ごしていました。
パーソナルな部分をぐっと出していった結果、女性だけを描くようになっていった
―榎本さんの作品で描かれる人物は、女性が多いかと思います。以前は男性も描いていたとのことですが、何か理由があったのでしょうか? 榎本:たしかに、油絵に移行してからはもう全然描いていないですね。それまでは性別を問わず普遍的なものを描いていたつもりだったけれど、自分の核となるものや描きたいもの、世界観をギュッと絞り込んで描くと決めてから、私自身が女性であるということもあると思うんですが、自然と女性を描くようになっていったのだと思います。 ―鑑賞者の反応には違いがありますか? 榎本:どうなんでしょうね。作品を購入される方は圧倒的に男性の方が多いんですけれど。でも、やっぱり本とか物語がそこに乗っかると、女性の方が反応してくれる気がします。 ―逆に、榎本さん自身が自分の描いた絵をどのように見ているのかも気になります。 榎本:描いている途中はいろいろ変わっていきますが、描き終わった肖像画は別人格として捉えています。なので、「この人はこういうものを背負って、こういう人生を歩んできたんだね」という感じで、その人のパーソナリティに向き合うような思いを抱きながら見ていますね。 ―人と対面で喋るとき、その人の顔の表情や服装や髪型を見て人生を感じ取りますが、それだけではない動植物というモチーフから、その人のパーソナリティを見出すというのは面白いですね。 榎本:そうですね。空とか植物、動物といったいろいろなモチーフには意味はないんですが、これまで自分が見てきたものが全部結びついて1枚の絵になっているので、そこで描いた人の人生みたいなのは、何となく自分には浮き出て見えてくる。だから「この人はこういう人かな」みたいな感じで見ているんだと思います。 ―2021年には、1年以上にわたって川上未映子さんの新聞連載小説『黄色い家』の挿絵を担当されていました。これまでとはまったく異なるスタイルですが、当時はどのように絵を描かれていたのでしょうか? 榎本:この連載では、初めてデジタルに挑戦したことに加えて、登場人物の顔を描くという挑戦もしました。あまりキャラクター化しないようにしようとか、シンプルなタッチで描いていこうと考えて進めていきましたね。連載中は週6本収録で、日曜日が休刊というスケジュールだったので、本当に大変で。もちろん、作家の川上さんのほうがずっと走り続けていて大変だったと思いますが、毎日毎日描いていたので当時の記憶はあまりないです(笑)。 ―確かに、顔がある絵はとても新鮮で、受ける印象が全然違うと感じました。反響はいかがでしたか? 榎本:読者の方からは、川上さんの文章と挿絵で展示をしてほしいといった声をいただいて嬉しかったですね。それに、なにより川上さんご自身が「登場人物の顔を見るという経験は初めてだったので、毎回見るのが楽しみ」とおっしゃってくださって、その言葉がすごく印象に残っています。 ―ありがとうございます。最後に今後の展望があれば教えてください。 榎本:油絵を始めて、ようやく自分の描きたかったものと、手が追いついてきたっていう感じがあるので、そこを今度はより深く掘り下げていきたいと思っています。そんなに大きい野望があるわけではないので、ずっと描き続けられるように、より多くの人に見ていただく機会ができるように、細く長く、自分のペースで頑張りたいです。
インタビュー・テキスト by 宇治田エリ / 撮影 by 大畑陽子 / 編集 by 生田綾