生きやすさを感じて生きてたら、絵は描いていない。「顔のない肖像」を映し出す榎本マリコの視点
非日常ではなく、生活の延長線上に作品はあるもの
―榎本さんの絵は、1920年代から始まったシュルレアリスムの絵画を彷彿とさせます。ご自身の作品との相違点や共通点をどのように捉えていますか? 榎本:たしかに、ダリやルネ・マグリットなどのシュルレアリスムを代表する作家を引き合いに出されることがよくあります。ただ、私としてはどちらかというとフリーダ・カーロ(※)などが描いていた、泣いている女性の肖像の方に影響を受けていますね。また、シュルレアリスムの作家の多くが潜在的な意識をアウトプットしていて、そういう点ではみんな共通しているとも思います。 (※)フリーダ・カーロ:1907~1954年。メキシコを代表する女性画家 ―ほかのインタビューなどで「夢」というキーワードも出てきていたかと思います。潜在的な意識が現れる夢の中は、いままで見てきたものが不思議な光景をかたちづくっていて、そこから受ける印象というのは、空を見て感動しつつも漠然とした感覚になったときにどこか似ている気がします。 榎本:そう思います。夢って自由で、思いもよらないものを叩き込んできたりするじゃないですか。そういう世界観とか、そこから受けた印象や感情をアウトプットできればと思っています。 実際に私自身も、特別な日常を過ごしているわけではなく、子どもがいて、朝は送り迎えをして、アトリエで描いて、帰ったらご飯つくって、本読んで、映画見て、休みの日には子どもと公園に行って……みたいな。本当に普通の日常生活を送っているんです。 そんな生活の延長線上で見る空の景色に、圧倒的なものを感じて魅入ってしまうんですよね。そういったところからしか私の絵は生まれていないというか。非日常を描いているように思われがちですが、あくまでも日常の延長線上に作品があるものだと捉えています。 ―空を見るとき、好きな時間帯はありますか? 榎本:やっぱり夕暮れ時ですね。色がどんどんグラデーションになっていく様子は、見慣れることがなくハッとするような気持ちになるんです。それをとにかく見て、そのときの感覚を無くさないように家に持ち帰っていますね。 出不精で、しょっちゅう美術館や旅行へ行くわけではないので、代わりにそういった身近な自然に心を震わせてもらっています。