“卓球で不幸になる子”を出さない 強豪揃いの新潟で躍動するブルースカイジュニア「いじめの過去と今」
愛娘がいじめを乗り越えて北信越チャンピオンに
――ブルースカイジュニアを20年弱運営されてますが、楽しかったことや辛かったことなど、思い出に残っている瞬間もお伺いできますか? 佐藤吉則さん:辛かったことで言えば、選手の引き抜きにあったことですね。 指導者に直接言ってくれるならまだいいんですけど、選手にだけ話を通して、その子がある日突然何も言わずに辞めちゃうみたいなこともあったんですよね。 ――佐藤さんからすれば、「え?」って言う感じですよね...。 佐藤吉則さん:はい。あと、実は同時期に小学生だったうちの娘がいじめを受けて不登校になりました。 娘も卓球をやっていたんですけど、それなりに強かったので部内でやっかまれて、いじめられてたみたいで。 そのときはクラブの選手が6人ぐらいまで減って、かつ娘も不登校になってしまって精神的に余裕がなくなって、「これ、チーム続けていけるのか?」って思っていました。 ――どのようにして乗り越えられたのでしょうか? 佐藤吉則さん:クラブを解散しようかとちらっと思ったんですけど、在籍してくれている生徒もいるし、娘は不登校で卓球しかコミュニティが残っていなかったので、続けようと。 そうして新潟にある「白根アトム」というクラブチームの梅津さんという方に、当時のクラブの事情を話して「一から指導を教えてほしい」という形で相談しに行ったんです。 そうしたら、「とりあえず練習に来い」と言ってくださって、指導者として自分に足りなかったことや、娘を含めどう子どもたちと向き合っていくべきかを教えていただきました。 そこから、10年ぐらいお付き合いさせていただいています。今のチームがあるのは本当に梅津さんのおかげですね。 ――逆に、嬉しかった瞬間はありますか? 佐藤吉則さん:嬉しかったのは、娘が中学3年生のときに北信越大会で優勝したことですね。 実はそのとき、妻が大会の3日前に入院してしまって、娘の試合に帯同することができなかったんです。 偶然にもそのときの開催地が以前いた石川県で、僕や娘のことも知ってくれてる人が大勢いたので、遊学館のOBや、僕の内灘町時代の教え子たちが娘の練習相手になってくれたんですよ。 ――卓球で繋がった縁による素敵なお話ですね。 佐藤吉則さん:ええ。 試合当日は僕も妻も娘の状況がわからないので、会場に行ってもらった人に「次〇〇さんと試合だよ」などLINEで実況してもらっていました。 まさか僕らも娘がそこまで勝ち上がると思っていなかったので、驚きながらLINEを見ていたら「あと4点でチャンピオンだよ」とメッセージが届きました(笑)。 最終的に優勝できたので、そのときは嬉しかったですね。 佐藤吉則さん:また、最近ですと、上越総合技術高校2年(当時)の蟹田凌が全国高校選抜卓球大会男子シングルス2部に出場したので、帯同させてもらったのも嬉しい経験でした。 教え子に全国へ連れていってもらえたのは、指導者冥利に尽きる嬉しい経験でした。 ――最後に、今後のブルースカイジュニアの展望をお聞かせください。 佐藤吉則さん:個人的に、卓球を通じていろんな人と出会うのはすごく大事なことだと思っています。 卓球って「言葉」みたいなものだと思ってて、知らない人同士でもお互いに卓球をやっていれば、難しいことは考えずに共通の話題で話ができるじゃないですか。 そういう経験は、絶対に人生が豊かになりますし、自分の世界を広げることにも繋がると思うんです。 特に僕らの地域は田舎で、どうしてもコミュニティは限られてしまいます。 なので、このブルースカイジュニアというチームを通して、生徒たちにいろいろな世界を見せてあげたいと思っています。
山下大志(ラリーズ編集長)