八重山語・スマムニで「赤鼻のトナカイ」は<アカーアカヌ パナヌ ピビジャーさんヤ>…歌って残す島言葉
寂しさが押し寄せ、母が口にした八重山地域のことわざ「むにばすきかー、すまばすきん(言葉を忘れたら、島を忘れる)。すまばすきかー、うやばすきん(島を忘れたら、親を忘れる)」が頭に浮かんだ。「『親』は、自分を育ててくれた島の文化や歴史」も意味すると解説する。抱いた危機感が、14年から主宰する「スマムニ広め隊」につながった。
放課後児童クラブで教え、ブログでことわざや会話例などを発信した。大人向けに定期的に開く対面やオンラインの講座には、島外出身者や外国人らも含めて、それぞれ約20人が参加。東大浜さんは「裾野が広がっている。移住者が土地の言葉を学ぼうとしてくれるのはうれしい」と手応えを感じている。
「方言札」のトラウマ
沖縄県が24年に実施した意識調査では、しまくとぅばを使う人は「あいさつ程度」を含めて36・8%。最多だった初回調査(13年)の58%から大きく減少した。高齢者の減少に加え、沖縄県設置後の1900年代初頭から沖縄が本土に復帰する72年頃まで用いられた「方言札」も背景にある。
近現代の沖縄教育史に詳しい北海道大の近藤健一郎教授によると、方言札は方言を使った場合に罰として子どもの首にかけた札で、一部の学校で使われた。東大浜さんの親世代には、標準語の方がきれいな言葉などと考える人もいたという。
米国人の国際交流員として、石垣市で勤務経験のある国立国語研究所(東京)の非常勤研究員、マシュウ・トッピングさん(39)は「(方言札の)トラウマは子や孫に受け継がれる。解消も重要」と指摘する。トッピングさんも継承に取り組み、石垣島で2019~24年、スマムニを話す人と学習者が会話するプログラムを実施。終了後の今も一部は勉強会を続ける。
スマムニを自由に話しづらい時代もあったが、東大浜さんは「歌など文化芸能を中心に、言葉を残したいという思いがあったから、今に継承されている」と感じている。「学ぶことで、子どもたちには独自の文化を持つ古里の素晴らしさを改めて知ってほしい」。単語でもいいから、島のあちこちでスマムニが聞こえるようになることが目標だ。(饒波あゆみ)