「2浪筑波→プロ野球」今は医者を目指す彼の半生。元横浜DeNAベイスターズの寺田光輝さんに話を聞いた
ここで寺田さんは初めてプロ野球選手になるという未来を明確に意識し始めます。大学に入って野球を続けたいと考えるようになり、学年最下位から受験勉強を開始しました。 「大学に行きたいという目標が明確になって、毎日帰ってから22時まで勉強するようになりました。休日には10時間は勉強していましたね。8月に最初に受けた模試は5教科7科目で28%。勉強って難しいなと思いましたが、受けるたびにどんどん成績が上がって、センター試験では74%取れました」
この成績を見て、前期で大阪市立大学生活科学部、後期で三重大学教育学部保健体育学科、早稲田大学スポーツ科学部のセンター試験利用入試(センター試験+競技歴方式)を受けた寺田さん。 大阪市立大学と早稲田大学には不合格だったものの、三重大学に合格し、大学で野球を続けるという当初の目標は達成することができました。 ■医学部を目指して受験勉強開始 こうして三重大学に進学したものの、ここから大学を休学し、まさかの浪人生活が始まります。その理由は、「プロ野球選手になるのは無理だから、1回自分の進路を考えようと思ったこと」がきっかけでした。
「三重大の野球部に入ったのですが、レベルが高くてついていけないと思いました。1カ月くらいでほぼ学校に行かなくなってしまいましたね。『医者になれ』と言われたことはないのですが、父が医師ですし、なんとなく医者にならないといけないのかなと考えて、8月に休学して医学部受験のために勉強する生活を始めました」 寺田さんは部活には8月まで出ていたものの、ずるずる中途半端に続けることもよくないと考えて、休学した三重大学の医学部を目指して浪人を決意します。
アルバイトしていた東進衛星予備校の空き時間に勉強をさせてもらいつつ、1日10時間くらいの勉強を重ねたものの、センター試験では82%。前年度よりは上がったものの、医学部受験生として合格するには難しい結果に終わります。 結局この年は三重大学の医学部の前期入試、後期入試を受けたものの、結果は振るわず2浪目に突入することになります。 「前期は散々な結果でした。もともと化学が苦手だったので、化学が必要ない後期試験に最初から懸けていたのですが、センター試験のパーセンテージが足りず、(2段階選抜で)足切りにあってしまいました。センター試験の結果がもうあと3%あれば、合格できていただろうと思います」