「2浪筑波→プロ野球」今は医者を目指す彼の半生。元横浜DeNAベイスターズの寺田光輝さんに話を聞いた
寺田さんはこの落ちた理由を「勉強時間の不足」と振り返ります。 「シンプルに学力不足でした。本気でもう1回勉強し直したのが8~9月なので、自分の能力では足りなかったですね」 ■後輩とのキャッチボールが人生変える こうして2浪目に突入した寺田さん。しかし、1浪目に頑張りすぎたために、春に一度模試を受けてからは気持ちが持ち直せなくなりました。 「(去年やりきった感覚があり)勉強はもうやりたくないなと思うようになりました。それでも、何もしていないのはまずいと思ったので、6月に東進をやめて、家庭教師やスシローの店員、地元のスーパーで惣菜を作るアルバイトを始めて、月15万円ほど稼ぐようになりました。
ただ、ずっとフリーター生活ではよくないなとも思っていて、自分が『今、何をしたいか』を考えたらやっぱり野球だと気づいたんです。野球に本気で向き合えるのは若いうちだけだと思ったので、アルバイトしながらトレーニングをしっかりやろうと思いました」 野球をやりたいという、自ら蓋をしていた気持ちがどんどん強くなっていった寺田さん。誘ってもらった野球チームで草野球をしながらトレーニングを続けていくうちに、7月には自分の行きたい大学が固まりました。
それは伊勢高校の野球部から筑波大学硬式野球部に進んだ後輩が帰省してきたタイミングで、一緒にキャッチボールをしたことがきっかけでした。 「後輩とキャッチボールをしていたときに、筑波大学で一緒に野球をしようと唆されたんです。『寺田さん、高校のときより全然球がよくなっているから、いけますよ』と言ってもらったこともあって、受かるかわからないけど受けてみようと思いました」 アルバイトとトレーニングを続ける生活を続けていた寺田さんがセンター試験の対策を始めたのは1週間前。「今年ダメなら三重大に復学して、野球部に戻ってもいいかな」という気持ちで受けたこともあり、前年度より成績は落としたものの、71%を確保。