「2浪筑波→プロ野球」今は医者を目指す彼の半生。元横浜DeNAベイスターズの寺田光輝さんに話を聞いた
浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 今回は2浪して筑波大学体育専門学群に進学。その後、石川ミリオンスターズを経て横浜DeNAベイスターズに入団し、現在は東海大学医学部4年生の寺田光輝さんにお話を伺いました。 【写真を見る】浪人時代の寺田さんと、プロ野球選手を経て医学部生になった寺田さんの写真
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 ■10代諦めた目標を、2つとも叶える 今回お話をお伺いしたのは、元プロ野球選手の寺田光輝さんです。 寺田さんはプロ野球選手になることと、医師を目指すという2つの目標を掲げていましたが、高い壁を感じたことで、その夢をいったん断念しました。 しかし、後に10代のころの目標を2つとも実現させました。 その目標達成には、寺田さんが浪人のときに得た学びが関係しているようです。はたして、寺田さんが浪人を経て得たものとはなんだったのでしょうか。
寺田さんは、医師の父、病院事務の仕事をしている母のもと、三重県伊勢市で生まれ育ちました。 小さいころはゲームをしているか、外で遊んでいるかで、活発な子どもだったようです。野球を始めたのは小学校3年生のときで、周囲の友達が野球チームに入ろうとしていたことがきっかけでした。 「最初はサッカーをやろうと思っていたのですが、通っていた学校にサッカーチームがなかったので、周囲の友達と仲良くしようと思って軟式の少年野球チームに入りました。おかげで、そこからずっと野球に携わらせていただいています」