「2浪筑波→プロ野球」今は医者を目指す彼の半生。元横浜DeNAベイスターズの寺田光輝さんに話を聞いた
小学校時代には塾にも通わせてもらいましたが、勉強をすることよりも、塾のあとに友達とプロレス遊びやキャッチボールをすることのほうが楽しかったと振り返る寺田さん。 塾に通っていたために成績はよく、地元の公立中学校に入ってからは、同級生150人中10番くらいの成績をキープしていました。しかし、中学に入った段階で野球を続けるかどうか迷うようになり、テニス部に入ることも検討しました。 「野球を続けたものの、中学では最後までレギュラーにはなれませんでした。当時はどちらかと言えば勉強のほうが得意で、中学2年生から本格的に塾に通って、高校受験の勉強をしていました」
頑張って勉強を続けた甲斐もあり、寺田さんは地元の進学校である三重県立伊勢高等学校に進学します。 ■高校ではずっと補欠だった 高校に進学した寺田さんは、進学先でも野球を続けますが、そこでもレギュラーにはなれず「補欠だった」と当時を振り返ります。 「部活以外の時間は『ポケットモンスター金・銀』や『大乱闘スマッシュブラザーズ』をしたり、学校近くの伊勢神宮のすぐ脇に流れる五十鈴川で泳いだりしていました。食べ歩きや、イオンにあるメダルゲームで遊んだりもして、楽しんでいましたね」
朝8時に起きて9時に学校に到着し、16時~19時半まで部活をしてから帰って寝る生活を過ごした寺田さん。部活と遊びに注力していたためか、成績も学年最下位まで落ちてしまいました。 将来の夢も特になく、普通の野球少年として日々の生活を送っていた寺田さんでしたが、部活を終えるタイミングで、初めて「プロ野球選手になりたい」という目標ができます。 それは、夏の最後の大会で、打たれて負けたことがきっかけでした。
「高校最後の夏の県大会で、自分のせいで負けてしまったんです。県大会の4回戦(3試合目)で、エースの子が肩の怪我を我慢しながら投げて、相手を抑えていたのですが、投手が自分に変わった途端に7点ほど取られてしまいました。 悔しくて、仲間にも合わせる顔がなかったのですが、一緒に過ごした仲間たちに『(高校時代に)寺田と野球をしていてよかった』と将来思ってもらうためには、自分がプロ野球選手になるしかないと考えるようになりました」