部下の納得感と安心感を醸成―― 「フェア・マネジメント」でメンタルヘルス対策を
厚生労働省による令和5年労働安全衛生調査によると、過去1年間に「メンタルヘルス不調により連続1カ月以上休業・退職した労働者」がいた事業所は13.5%で、前年比0.2ポイント増となり、働く人のメンタルヘルス不調は増加傾向にあります。労働者のメンタルヘルスに関して研究しており、複数の企業で産業医の経験を持つ、北里大学大学院 医療系研究科産業精神保健学 教授の田中克俊さんは、従業員のメンタルヘルス不調を未然に防ぐために、上司がフェア(=公正)であることが重要だといいます。「フェア・マネジメント」とはどのようなものか、メンタルヘルス対策や健康経営推進に向けて企業や人事は何ができるのかを聞きました。
雇用環境の変化で慢性的な不安感広がる
――メンタル面で体調を崩す人が増えていますが、どのような背景があるのでしょうか。 30年くらい前までは、メンタルヘルス不調というと統合失調症や双極性障害といった精神疾患を扱うことが多かったのですが、治療法が進化し、それらの疾患は徐々にコントロールできるようになってきています。現在はむしろ、適応障害や軽いうつ状態を主訴にする労働者が増えてきました。 統合失調症や双極性障害などは生物学的な要因、いわゆる脳の機能障害によってメンタルヘルス不調を引き起こしますが、適応障害などは心理社会的要因が主なもの。本人の考え方や性格といった心理的特性と、仕事や環境とのミスマッチが原因であることが多く、改善のためには、こうした心理社会的な要因への介入が必要となります。 しかし、そうした対応が容易に進まないケースも少なくありません。本人の能力や特性に合わせて柔軟に仕事のやり方を変えたり、配置転換したりできれば良いのでしょうが、さまざまな事情で環境調整ができない場合もあり、とりあえずメンタルクリニックで治療を受けるという対応のみになりがちです。ただし、薬は生物学的要因が原因ならば効果がありますが、心理社会的要因で不調になっている場合はそれほど効果が期待できるわけではありません。また、本人の心理特性に合わせたカウンセリングや精神療法を上手にできる専門家もそれほど多くないのです。その結果、治療しているものの、なかなか改善しないケースが増えているのが最近の実情です。 ――心理社会的要因によるものが増えている理由は何でしょうか。 働く人を取り巻く環境が変化し、以前に比べて慢性的な不安感が高まっていることが理由の一つだと思います。これまでの日本企業には終身雇用制が広まっていたので、多少の問題があっても、労働者は職を失う心配がほとんどありませんでした。また、年功序列の賃金体系によって労働者個人と家族の経済生活が保証され、安心して将来設計を描くことができていました。 もちろん、今の日本でもすぐに解雇されることは考えにくく、年功序列もある程度残っています。それでも、実力主義が浸透し、従業員は常に成果を求められるため、以前ほど安心してはいられません。加えて、在宅勤務や兼業・副業の広がりなどにより、「職場」が持つ機能が低下しました。所属意識の希薄化や労働者の心理的孤独が強まっている傾向もあり、職場でのストレスやトラブルに対して敏感に不安を感じるようになっています。 不安や抑うつ、怒りが代表的なネガティブ感情ですが、抑うつや怒りの背景には不安があります。不安が高まっている状態でストレスを受けると、人は本能的に「fight or flight」、つまり「戦う」か「逃げる」の二者択一の行動をとりがちです。安心できる状況では、ストレスに直面しても状況を冷静に分析し、合理的で理性的な考えや行動を選択できるでしょうが、不安で余裕がなくなると、ちょっとしたことで攻撃的になったり、回避行動が普段より強くなったりします。そうすると対人関係のトラブルや課題を先送りするなど、さらなる問題を引き起こし、より不安やストレスを高めてしまいます。職場の心理的安全性という言葉が使われることが多いのですが、不確定要素が多く不安が惹起されやすい最近の職場では、安心できる状況を可能な限り作り出す工夫が必要になっています。