部下の納得感と安心感を醸成―― 「フェア・マネジメント」でメンタルヘルス対策を
質の高い睡眠で脳の疲労回復を
――心の健康を守るためにできるセルフケアはありますか。 生物にとって食事と睡眠は不可欠です。最近は日本でも睡眠に対する関心が高まっていますが、睡眠時間については、OECD(経済協力開発機構)加盟国の中で最低水準です。睡眠は量だけでなく質も大事ですが、そのための対策も不十分と言えます。 睡眠は、神経系、免疫系、ホルモン系という心身の健康の基礎となる機能の保持に欠かせません。「病気は夜つくられる」と言われるように、睡眠の問題は心身のあらゆる不調のもとになります。特に脳を中心とした神経系は夜しか休む時間がないので、睡眠の質の影響を強く受けます。脳の疲労であるうつ病も、その多くが不眠をもとに生じることが広く知られています。 また、メンタルヘルスのためにはあきらめる・忘れることが重要だと言いましたが、この忘れる作業も睡眠中に行われます。どうしようもなくつらい体験をした場合、その痛みを癒やすのは月日の流れ、「日にち薬」しかありません。いつまでも鮮明に覚えていたら耐えられなくなるような記憶について、脳は睡眠中に薄皮を一枚ずつめくる作業をしてくれるのです。 睡眠の問題は、社員の健康だけでなく、労働生産性や安全性の問題にも大きく関係しています。脳が疲れた状態ではイライラしやすくなり、集中力やクリエイティブな発想力が損なわれて仕事の質も効率も低下します。日中のパフォーマンスの維持・向上のためには、良い睡眠が必須です。健康経営においても、従業員の睡眠をレベルアップさせることが第一優先だと思います。 ――質のよい睡眠をとるためには何が必要でしょうか。 昨年、厚労省の研究班で、「健康づくりのための睡眠ガイド2023」を作成しました。良い眠りのために必要なこと、例えば、体内時計を整えるための生活習慣や、カフェインやアルコール、ブルーライトに関する注意点、眠れない時の対応方法などが分かりやすく説明されています。中でも、ストレスで寝つきが悪くなりがちな方には、寝る直前のルーティンである睡眠儀式を持つことが大切だと思います。また職域での睡眠教育などで利用できるよう、「Good Sleepガイド(ぐっすりガイド)成人版」を作成したので、ぜひ利用してください。 【参考】 健康づくりのための睡眠ガイド2023|厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/001181265.pdf また、最近の研究で、日本の男性の4人に1人、閉経女性の約1割が、治療が必要な中等症以上の睡眠時無呼吸症候群であることが示唆されています。睡眠時無呼吸症候群とは、睡眠中に舌が気道に落ち込み呼吸を邪魔してしまう病気です。 睡眠中に突然首を絞められるような状態ですから、睡眠がひどく阻害されるだけでなく、急激な心拍や血圧の上昇など、体のさまざまな部分に大きな悪影響を与えます。大きないびきや睡眠中の無呼吸を指摘されたことがある方は、睡眠クリニックの受診を勧めます。 ――メンタルヘルス対策に取り組む人事の方に、メッセージをお願いします。 上司のフェアネス向上や適切なメンター制度の運用、社員の睡眠の向上はいずれも、メンタルヘルス不調を引き起こす根本原因にアプローチできる施策です。健康経営推進を目指す人事の皆さんには積極的に取り組んでほしいですね。
プロフィール
田中 克俊さん(北里大学大学院 医療系研究科産業精神保健学 教授) たなか・かつとし/1990年産業医大卒。92年株式会社東芝の本社産業医として勤務。昭和大精神医学教室を経て2003年北里大大学院医療系研究科産業精神保健学准教授、2010年より現職。産業精神保健に関する研究・教育および厚労省の指針・基準作成などに従事。日本産業精神保健学会副理事長の他、日本産業保健法学会、日本うつ病学会、日本ストレス学会の理事など。労働政策審議会障害者雇用分科会委員。